北野天満宮一の鳥居・北野天満宮見どころ

北野天満宮一の鳥居

●北野天満宮一の鳥居は1921年(大正10年)10月に今出川通(いまでがわどおり)に面して建立されました。北野天満宮一の鳥居は木曽の花崗岩(かこうがん)の一本柱で、高さ約11.4メートルです。
一般的に鳥居は神社などの神域と人間が住む俗界を区画する結界で、神域への入口を示しています。鳥居には木材(檜・杉など)で造られた木鳥居、石で造られた石鳥居、銅板で全体を葺いた銅鳥居・金鳥居(かなどりい)などがあります。また鳥居にはその形式により、明神鳥居(みょうじんとりい)・神明鳥居(しんめいとりい)・両部鳥居(りょうぶとりい)・春日鳥居(かすがどりい)・住吉鳥居(すみよしどりい)・鹿島鳥居(かしまどりい)・三輪鳥居(みわとりい)などがあります。
今出川通は東端の銀閣寺(ぎんかくじ)門前付近から西端の京福電車等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅(とうじいん・りつめいかんだいがくきぬがさキャンパスまええき)西側の踏切付近を結ぶ通りです。今出川通は中世に北小路(きたこうじ)とも言われています。なお今出川通名称は鴨川(かもがわ)分流の今出川が東洞院通(ひがしのとういんどおり)から寺町通(てらまちどおり・東京極大路(ひがしきょうごくおおじ))まで通りに沿って流れていたことに由来します。
花崗岩はマグマが地下深くでゆっくり冷えて固まった深成岩(しんせいがん)の一種で、石材として御影石(みかげいし)とも言われています。花崗岩は主に石英(せきえい)・カリ長石(カリちょうせき)・斜長石(しゃちょうせき)・黒雲母(くろうんも)からなり、普通角閃石(ふつうかくせんせき)・白雲母(しろうんも)を含むこともあります。
●北野天満宮一の鳥居には閑院宮載仁親王(かんいんのみやことひとしんのう)による扁額「天満宮(高さ約2.7メートル・幅約2.4メートル・重さ約563キロ)」が掛けられています。扁額は2014年(平成26年)に修復されました。
閑院宮載仁親王は1865年(慶応元年)11月10日に伏見宮邦家親王(ふしみのみやくにいえしんのう)と伊丹吉子のの第16王子として生まれました。3歳で出家し真言宗醍醐派(しんごんしゅうだいごは)総本山・三宝院(さんぼういん)を相続するが、1871年(明治4年)に伏見宮(ふしみのみや)に復籍し、翌1872年(明治5年)の閑院宮(かんいんのみや)第5代・愛仁親王(なるひとしんのう)の没後に閑院宮家を継承しました。1877年(明治10年)に陸軍幼年学校に入学し、1878年(明治11年)に親王宣下されました。フランス留学後に騎兵第二旅団長・第一師団長・近衛師団長などを歴任し、1912年(大正元年)に陸軍大将になり、1919年(大正8年)に元帥府に列し、1931年(昭和6年)に参謀総長になりました。しかし1940年(昭和15年)に軍務から退き、1945年(昭和20年)5月20日に79歳で亡くなりました。
北野天満宮見どころ

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