北野天満宮新嘗祭(例年11月23日)

北野天満宮一の鳥居・北野天満宮見どころ

新嘗祭(日程・時間・・・)を紹介しています。新嘗祭は例年11月23日に行われます。新嘗祭ではその年に収穫された新穀を神前に供え、神の御恵に感謝します。ちなみに「新」は新穀、「嘗」はご馳走を奉ることを表すそうです。なお新嘗祭は飛鳥時代、皇極天皇(642年~645年)の時代から行われているそうです。

【新嘗祭 日程時間(要確認)】
新嘗祭は例年11月23日に行われます。

【新嘗祭・北野天満宮 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市上京区御前通今出川上る馬喰町
最寄り駅・バス停・・・北野天満宮前(徒歩すぐ)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から北野天満宮は50系統(B2乗り場)、101系統(B2乗り場)
*四条河原町からは51系統 
*四条烏丸からは55系統、101系統、203系統
*河原町丸太町からは10系統
路線・時刻表・運賃チェック

*嵐電(京福電鉄)北野線の場合、最寄り駅は北野白梅町駅(徒歩約7分)

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【新嘗祭 歴史・簡単概要】
北野天満宮新嘗祭(にいなめさい)ではその年に収穫された新穀を神前に供え、神の御恵に感謝します。ちなみに「新」は新穀、「嘗」はご馳走を奉ることを表すそうです。
新嘗祭(にいなめさい・にいなめのまつり・しんじょうさい)では収穫された新穀を供え、その年の豊穣に感謝し、翌年の豊穣を祈願します。新嘗祭は11月23日に行われ、天皇が五穀の新穀を全ての神々である天神地祇(てんじんちぎ)に供え、自らも食して収穫に感謝しました。新嘗祭は宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)の近くの神嘉殿で行われていたそうです。ちなみに皇室では現在も新嘗祭が行われているそうです。新嘗祭は飛鳥時代、第35代・皇極天皇(642年~645年)の時代から始まり、室町時代には民間にも広まり、竃(かまど)の神の祭り・火の神の祭りへと転化していたそうです。奈良・京都の神社では願い事が書かれた護摩木を焚き上げるお火焚祭(おひたきさい)などとして行われています。なお新嘗祭は新春に豊穣を祈願する祈年祭(きねんさい・としごいのまつり)とともに重要な宮中祭祀とされていたそうです。

【北野天満宮 歴史・簡単概要】
北野天満宮(きたのてんまんぐう)は平安時代中期の947年(天暦元年)に西ノ京に住んでいた多治比文子(たじひのあやこ)・近江(滋賀)比良宮(ひらのみや)の神主である神良種(みわのよしたね)・北野朝日寺(東向観音寺(ひがしむかいかんのんじ))の僧である最珍(さいちん・最鎮)らが神殿を造営し、祭神・菅原道真(すがわらのみちざね)を祀ったのが起源です。903年(延喜3年)に菅原道真が左遷された大宰府で没し、942年(天慶5年)に多治比文子に宣託があり、947年(天暦元年)には神良種の子・太郎丸に再び託宣があったとも言われています。その後菅原道真の左遷の原因になった左大臣・藤原時平(ふじわらのときひら)の甥・藤原師輔(ふじわらのもろすけ)が私邸を寄贈し、大規模な社殿が造営されました。987年(永延元年)に第66代・一条天皇が勅使を派遣して国家の平安を祈願する勅祭が行われ、神号「北野天満宮天神」を賜り、1004年(寛弘元年)には一条天皇が行幸し、その後皇室に崇敬されました。しかし1444年(文安元年)の文安の麹騒動(ぶんあんのこうじそうどう)で室町幕府の攻撃によって焼失して一時衰退しました。1587年(天正15年)に関白・豊臣秀吉が境内で北野大茶会(きたのだいさのえ)を行い、1607年(慶長12年)には秀吉の子・豊臣秀頼が本殿などを造営しました。なお北野天満宮は「文道の大祖・風月の本主」と言われる菅原道真を祀っていることもあり、学問の神として多くの信仰を集めています。
北野天満宮は菅原道真を祀った神社の総本社です。
*参考・・・京都・北野天満宮(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ

【新嘗祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
京都・北野天満宮(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
北野天満宮見どころ(本殿・三光門など)
北野天満宮ずいき祭

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