北野天満宮御土居・北野天満宮見どころ(修学旅行)

北野天満宮御土居

●北野天満宮御土居は国の史跡です。
●北野天満宮御土居はもみじ苑にあり、長さ約250メートルです。御土居は現存する御土居の遺構としては最長です。御土居は京都市北区・中京区・上京区にあった総延長約22.5キロメートルの土塁跡です。
御土居は安土桃山時代の1591年(天正19年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が長い戦乱で荒れ果てた京都の都市改造の一環として、北側の鷹ヶ峯(たかがみね)・東側の鴨川(かもがわ・賀茂川)・西側の紙屋川(かみやがわ・天神川)・南側の九条通付近に沿って築きました。御土居は川・池・沼を利用し、南北約8.5キロ・東西約3.5キロで、総延長約22.5キロにも達しました。御土居は外側の堀と合わせて御土居堀とも言われています。御土居には外敵の侵入を防いだり、鴨川など川の氾濫から町をを守る役目がありました。御土居の内側は洛中(らくちゅう)、外側は洛外(らくがい)と言い、要所には鞍馬口(くらまぐち・出雲路口(いずもじぐち))・丹波口(たんばぐち)などの七口(ななくち)が設けられ、洛中と洛外の出入り口になりました。御土居は江戸時代に天下太平の世が続くとその役目が徐々になくなり、堤防の役割を果たすものなどを除き、次々と取り壊されました。御土居は現在、8ヵ所(紫竹(しちく)・盧山寺(ろさんじ)・西ノ京・平野・紫野(むらさきの)・鷹ヶ峯2ヵ所・大宮)が残されています。
豊臣秀吉は1537年(天文6年)3月17日(旧暦2月6日)に織田信長(おだのぶなが)の足軽(百姓)・木下弥右衛門(きのしたやえもん)と美濃の鍛冶・関兼貞の娘・なか(仲・天瑞院(てんずいいん))との間に生まれました。1554年(天文23年)頃から織田信長に仕え、1561年(永禄4年)に浅野長勝(あさのながかつ)の養女・北政所(ねね)と恋愛結婚しました。その後戦功を重ねて頭角を現し、1582年(天正10年)に明智光秀(あけちみつひで)が織田信長に謀反を起こした本能寺の変(ほんのうじのへん)後、山崎の戦い(やまざきのたたかい)で明智光秀を破り、四国・九州・関東・奥羽を平定し、1590年(天正18年)に天下を統一を成し遂げ、1598年(慶長3年)9月18日(旧暦8月18日)に62歳で伏見城内で亡くなりました。なお豊臣秀吉は1585年(天正13年)に関白、翌1586年(天正14年)に豊臣姓を賜って、太政大臣になりました。
もみじ苑は境内の西側にあり、約350本のもみじが植えられています。もみじの中には樹齢350年以上のもあります。ちなみに樹齢約600年の大欅(けやき)もあるそうです。もみじ苑には紙屋川(かみやがわ)沿いに散策道が整備されています。
北野天満宮見どころ

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