北野天満宮のパワースポット・ご利益解説|学業成就・入試合格

北野天満宮のパワースポット・ご利益解説
北野天満宮のパワースポット・ご利益を解説します。北野天満宮には本殿・なで牛(撫で牛・撫牛)・牛舎(一願成就のお牛さん)・大黒天の燈篭・文子天満宮・伴氏社・火之御子社などのパワースポットがあります。北野天満宮は本殿に学問の神・菅原道真を祀り、学業成就などのご利益があると言われています。(個別解説下記参照)
【北野天満宮の歴史・簡単概要】
北野天満宮は947年(天暦元年)に西ノ京に住んでいた多治比文子、近江比良宮の神主である神良種、北野朝日寺の僧である最珍らが神殿を建立し、菅原道真を祀ったのが起源です。942年(天慶5年)に多治比文子に宣託があり、947年(天暦元年)に神良種の子・太郎丸に再び託宣があったとも言われています。その後菅原道真の左遷の原因になった左大臣・藤原時平の甥・藤原師輔が私邸を寄贈し、大規模な社殿が造営されました。987年(永延元年)に第66代・一条天皇が勅使を派遣して国家の平安を祈願する勅祭が行われ、神号「北野天満宮天神」を賜り、1004年(寛弘元年)に一条天皇が行幸し、その後皇室に崇敬されました。
【北野天満宮のご利益解説】
北野天満宮は学問の神で、「文道の大祖・風月の本主」と言われる菅原道真(すがわらのみちざね)を祀り、学業成就などのご利益があると言われています。菅原道真は862年(貞観4年)に文章生試験に合格し、877年(元慶元年)に文章博士・式部少輔になりました。また政治家としても手腕を発揮し、899年(昌泰2年)に右大臣に任命され、左大臣・藤原時平(ふじわらのときひら)とともに政務を統括したが、901年(延喜元年)に藤原時平の讒言(告げ口)によって太宰府に左遷され、903年(延喜3年)に亡くなりました。
●菅原道真は845年(承和12年)に菅原是善(すがわらのこれよし)の三男として生まれました。幼少の頃から和歌・漢詩に優れ、862年(貞観4年)に文章生(もんじょうしょう)試験に合格し、867年(貞観9年)に文章生から2名が選ばれる文章得業生(とくごうしょう)になり、正六位下・下野権少掾(しもつけごんのしょうじょう)に叙任されました。877年(元慶元年)に文章博士になり、880年(元慶4年)に父が亡くなると私塾・菅家廊下(かんけろうか)を主宰しました。890年(寛平2年)に第59代・宇多天皇の側近になり、その後国政を担う公卿(くぎょう)に列せられ、899年(昌泰2年)に右大臣に任命されました。しかしその直後に「宇多上皇を欺き惑わした」・「醍醐天皇を廃立して娘婿の斉世親王を皇位に就けようと謀った」という左大臣・藤原時平の讒言により、太宰府に左遷され、903年(延喜3年)に太宰府で亡くなりました。
【なで牛(なでうし)のご利益解説】
なで牛(撫で牛・撫牛)は天神さん(菅原道真)のお使い(神使・祭神の使者)とされることから頭を撫でると頭がよくなるご利益があると言われています。また自分の体の悪い場所を撫でた後、なで牛の同じ場所を撫でると悪い場所が治るご利益もあると言われています。
●牛が菅原道真のお使いとされるのは「菅原道真が生まれたのが丑年」・「菅原道真が亡くなったのが丑の月の丑の日」・「菅原道真の墓所の位置は牛が決めた」などに由来しています。またなで牛が横たわっている理由は菅原道真が大宰府で亡くなった際、遺体を運ぶ牛が突然座り込んで動かなくなったことに由来しています。菅原道真は「人にひかせず牛の行くところにとどめよ」と遺言を残し、牛が動かなくなった場所近くにあった安楽寺に埋葬されたと言われています。
【牛舎(うししゃ)のご利益解説】
牛舎(一願成就のお牛さん)は覆屋内に北野天満宮で最も古いと言われるなで牛があり、撫でると一つだけ願いが叶うご利益があると言われ(一願成就のお牛さん)ています。その為牛舎は古くから一願成就所(一願成就のお牛さん)として信仰されてきました。牛舎は境内の北西・乾(いぬい)の方角にある小祠で、古くから「乾の牛さん」・「乾さん」と言われて親しまれてきたそうです。
【大黒天の燈篭(だいこくてんのとうろう)のご利益解説】
大黒天の燈篭は金運のご利益があると言われています。大黒様の口に小石をのせて落ちなければ、小石を財布に入れて持つとお金に困らないと言われているそうです。
●大黒天は福禄寿・恵比寿・毘沙門天・布袋・寿老人・弁財天とともに七福神に数えられています。大黒天はインド・ヒンドゥー教で、青黒い身体を持つ破壊神・シヴァ神の化身であるマハーカーラが起源とされ、仏教に取り入られました。マハーカーラには偉大な黒い神などの意味があります。
【文子天満宮(あやこてんまんぐう)のご利益解説】
北野天満宮の末社・文子天満宮は多治比文子(たじひのあやこ)が最初に菅原道真を祀った社とされ、学業成就などのご利益があると言われています。多治比文子は942年(天慶5年)に「右近の馬場に祀れ」という菅原道真からの最初の託宣があり、自邸内に仮の小祠を祀ったとも言われています。
●多治比文子は菅原道真から宣託を受けた際、少女だったとも言われています。また多治比文子は菅原道真の乳母だったとも言われています。
【伴氏社(ともうじしゃ)のご利益解説】
北野天満宮の末社・伴氏社は菅原道真の母である伴真成(とものまさしげ)の娘を祀り、子供の成長と学業成就のご利益があると言われています。大伴氏は邇邇藝命(ににぎのみこと)の天孫降臨(てんそんこうりん)の際、天津久米命(あまつくめのみこと)とともに武装して先駆を務めた天押日命(あめのおしひのみこと)の後裔(こうえい)とされています。
●伴氏社は伴氏鳥居(中山鳥居)が京都御苑にある厳島神社(いつくしまじんじゃ)の唐破風鳥居・木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)蚕の社(かいこのやしろ))の三柱鳥居とともに京都三珍鳥居に数えられています。
【火之御子社(ひのみこしゃ)などの摂末社のご利益解説】
北野天満宮には文子天満宮・伴氏社以外にも50の摂社・末社があります。火之御子社(ひのみこしゃ)には雷除け・五穀豊穣、白太夫社(しらだゆうしゃ)には子授け・安産、福部社(ふくべしゃ)には金運・開運招福、地主社(じぬししゃ)には招福・請願成就、神明社(しんめいしゃ)には家内安全・家業発展のご利益があると言われています。
●火之御子社では例年6月1日に雷除大祭(かみなりよけたいさい)が行われ、一年の五穀豊穣と落雷が少ないことを祈願します。また例年12月31日に鑽火祭(きりびさい)が行われ、篝火(かがりび)から浄火を火縄に移して自宅に持ち帰り、元旦に浄火で雑煮などの調理を行うと1年間の無病息災のご利益があるとも言われています。
【北野天満宮のパワースポット・ご利益 備考】
北野天満宮見どころ(本殿・三光門など)

















