清水寺阿弥陀堂・清水寺見どころ

●清水寺阿弥陀堂は1966年(昭和41年)6月11日に国の重要文化財に指定されました。
●清水寺阿弥陀堂は江戸時代前期の1631年(寛永8年)に再建されました。清水寺阿弥陀堂は阿弥陀如来坐像を安置しています。なお清水寺阿弥陀堂は1629(寛永6年)9月10日の火災によって焼失し、1631年(寛永8年)に再建されました。清水寺では2008年(平成20年)から平成の大改修が開始され、阿弥陀堂は2013年(平成25年)3月から奥の院とともに改修が行われました。
阿弥陀如来は大乗仏教の如来のひとつで、西方の極楽浄土(ごくらくじょうど)の教主とされています。阿弥陀如来は弥陀仏(阿弥陀佛)・無量光仏(むりょうこうぶつ)・無量寿仏(むりょうじゅぶつ)とも言われています。阿弥陀如来は生あるものを全てを救う如来とされています。阿弥陀如来は紀元100年頃に編纂された大乗仏教の経典「無量寿経(むりょうじゅきょう)」によると世自在王仏(せじざいおうぶつ)のもとで出家して修行していた時、法蔵比丘(ほうぞうびく)という菩薩(法蔵菩薩( ほうぞうぼさつ))であったが、48の誓願(四十八願 (しじゅうはちがん))を立てて修行して仏になり、仏国土である極楽浄土(ごくらくじょうど)を設立して現在もそこで説法しているとされています。阿弥陀如来は飛鳥時代(7世紀前半)に日本に伝わり、平安時代中期以降に隆盛して阿弥陀如来像が造仏され、鎌倉時代に念仏によって極楽浄土に往生できるという阿弥陀信仰が盛んになり、法然上人(ほうねんしょうにん)を宗祖とする浄土宗(じょうどしゅう)・親鸞聖人(しんらんしょうにん)を宗祖とする浄土真宗(じょうどしんしゅう)・一遍上人(いっぺんしょうにん)を宗祖とするを時宗が成立しました。
●清水寺阿弥陀堂は鎌倉時代初期の1188年(文治4年)に浄土宗(じょうごしゅう)の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)が念仏を修したことから日本初の常行念仏道場とも言われ、法然上人二十五霊場の13番札所になっています。
法然上人は平安時代後期の1133年(長承2年)4月7日に美作国(岡山県)久米南条稲岡荘の押領使(おうりょうし)・漆間時国(うるまときくに)と秦氏君(はたうじのきみ)清刀自の子として生まれたと言われています。1141年(保延7年)に9歳で父・漆間時国が殺害され、母方の叔父で、僧侶・観覚(かんがく)のもとで剃髪し、1145年(天養2年)に15歳で比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)に登って源光(げんこう)に師事して天台(てんだい)を学びました。しかし1150年(久安6年)に教学などに疑問を感じ、西塔黒谷・叡空(えいくう)のもとで修業し、法然房源空(ほうねんぼうげんくう)と称しました。その後20年間に渡って修学し、中国浄土教の僧・善導(ぜんどう)の「観無量寿経疏(かんむりょうじゅきょうしょ)」や天台宗の僧である恵心僧都(えしんそうず)・源信(げんしん)の「往生要集(おうじょうようしゅう)」により、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」の名号を口に出して称える称名念仏(しょうみょうねんぶつ)に専修する悟りに達し、浄土宗を開きました。京都吉水(よしみず)に草庵を結んで老若貴賤(ろうにやくきせん)に布教したが、女官の出家を契機に南都北嶺(興福寺(こうふくじ)・比叡山延暦寺)から迫害を受け、1207年(承元元年)に讃岐に配流され、その後赦免されて京都に戻りました。なお法然上人は1212年(建暦2年)1月25日に東山大谷(京都市東山区)で亡くなりました。
法然上人二十五霊場は誕生寺(岡山県久米郡久米南町)・法然寺(香川県高松市)・十輪寺(兵庫県高砂市)・如来院(兵庫県尼崎市)・勝尾寺二階堂(大阪府箕面市)・四天王寺阿弥陀堂(大阪府大阪市天王寺区)・一心寺(大阪府大阪市天王寺区)・報恩講寺(和歌山県和歌山市)・當麻寺奥院(奈良県葛城市)・法然寺(奈良県橿原市)・東大寺指図堂(奈良県奈良市)・欣浄寺(三重県伊勢市)・清水寺阿弥陀堂(京都府京都市東山区)・正林寺(京都府京都市東山区)・源空寺(京都府京都市伏見区)・光明寺(京都府長岡京市)・二尊院(京都府京都市右京区)・月輪寺(京都府京都市右京区)・法然寺(京都府京都市右京区)・誓願寺(京都府京都市中京区)・勝林院(京都府京都市左京区)・百万遍知恩寺(京都府京都市左京区)・清浄華院(京都府京都市上京区)・金戒光明寺(京都府京都市左京区)・知恩院(京都府京都市東山区)・永観堂(京都府京都市左京区)・青龍寺(滋賀県大津市)です。
清水寺見どころ

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