清水寺清水の舞台伝承・清水寺見どころ(修学旅行)

清水寺清水の舞台伝承

●清水寺清水の舞台伝承は平安時代後期に公卿・歌人で、蹴聖(しゅうせい)と称された藤原成通(ふじわらのなりみち)が清水の舞台の欄干(らんかん)で蹴鞠(けまり)をしながら一往復したという伝承が残されています。その伝承が記された「成通卿口伝日記(なりみちきようくでんにつき)・12世紀成立」が清水の舞台の初見とも言われています。
清水の舞台(本堂)は江戸時代前期の1633年(寛永10年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)の寄進によって再建されました。清水の舞台(本堂)は崖・錦雲渓(きんうんけい)の斜面にせり出すように建立され、内々陣・内陣・外陣(礼堂(らいどう))・舞台に分かれています。内々陣には33年に1度開扉される本尊・千手観音立像が安置され、舞台では千手観音立像に芸能が奉納されていました。
藤原成通は平安時代後期の1097年(承徳元年)に公卿・歌人で、坊門大納言(ぼうもんだいなごん)と号した藤原北家中御門流(なかみかどりゅう)の藤原宗通(ふじわらのむねみち)と藤原顕季(ふじわらのあきすえ) の娘の四男として生まれました。一族は白河法皇(第72代・白河天皇)の近臣であったことから幼少から白河法皇や待賢門院(たいけんもんいん・藤原璋子(ふじわらのしょうし))に近仕し、8歳で叙爵(じょしゃく)し、10歳の時に第74代・鳥羽天皇(とばてんのう)が即位すると侍従(じじゅう)に任じられました。その後蔵人(くろうど)・左中将(さちゅうじょう)・参議(さんぎ)などを歴任し、1143年(康治2年)に正二位(しょうにい)に昇叙し、1156年(保元元年)に大納言(だいなごん)になりました。しかし出世の望みは薄いと考え、1159年(平治元年)に出家しました。藤原成通は人柄が優美で明朗、そして詩歌(和歌・漢詩)・笛・今様などに秀で、法令・制度・行事・風俗などの有職故実(ゆうそくこじつ)に通じていました。ちなみに和歌は「金葉和歌集(きんようわかしゅう)・平安時代後期編纂」・「千載和歌集(せんざいわかしゅう)・平安時代末期編纂」などの勅撰和歌集に23首が採録され、歌集に「成通集」があります。また藤原成通は馬・早業などにも優れ、特に蹴鞠(けまり)は名人として「蹴聖(しゅうせい」と賞賛され、「成通卿口伝日記」を記しました。「成通卿口伝日記」によると蹴鞠庭に7千日立ち、その内の2千日は連日蹴り続けました。また1千日は休まずに蹴鞠をする千日行を達成しました。その夜鞠の精霊が3匹の猿の姿で夢の中に現れ、その3匹の猿の名前が蹴鞠の掛け声「アリ」・「ヤア」・「オウ」の由来になっています。なお藤原成通は1162年(応保2年)に亡くなりました。
蹴鞠は紀元前300年頃の中国・戦国時代の蹴鞠(しゅうきく)が起源とも言われています。日本には飛鳥時代(538年頃)に仏教とともに中国から伝わったと言われ、日本最古の歴史書「日本書紀(にほんしょき)・720年(養老4年)完成」にも記されています。ちなみに蹴鞠では中大兄皇子(なかのおおえのおうじ・天智天皇(てんぢてんのう))と藤原鎌足(ふじわらのかまたり・中臣鎌足(なかとみのかまたり))が親しくなり、645年(大化元年)の大化の改新のきっかけになったとも言われています。
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