清水寺福寿禄石像・清水寺見所(修学旅行・観光)

清水寺福寿禄石像

●清水寺福寿禄石像は子安塔(重要文化財)から音羽の滝に向かう途中に祀られています。清水寺縁起によると奈良時代後期の778年(宝亀9年)に音羽の滝で修行中の行叡居士(ぎょうえいこじ)は「南の地を去れ」という霊夢により、この地を訪れた延鎮上人(えんちんしょうにん)・賢心(けんしん)と出会って清水寺の起源になり、福寿禄石像はその頃の行叡居士の姿を表していると伝えられています。その後石像は宝冠(ほうかん)に似た頭布(ずきん)と広袖の衣を身に着け、長い顎(あご)ひげを垂らし、右手に持つ錫杖(しゃくじょう)、左手の経巻(きょうかん)などの像容姿から七福神の福禄寿(ふくろくじゅ・福禄人(ふくろくじん))として信仰されました。
福禄寿(ふくろくじゅ)は恵比寿(えびす)・大黒天(だいこくてん)・毘沙門天(びしゃもんてん)・布袋(ほてい)・寿老人(じゅろうじん)・弁財天(べんざいてん)とともに七福神(しちふくじん)に数えられています。福禄寿は儒教(じゅきょう)・仏教とともに中国三大宗教に数えられている道教で強く希求される3種の願い(幸福・俸禄(ほうろく)・長寿命)を具現化したものと言われ、寿老人とともに南極星(南極老人)の化身ともされています。福禄寿は寿老人と同一視されることもあります。福禄寿は背が低い短身・長頭で、髭(ひげ)をはやし、経巻を結んだ杖(つえ))を持ち、鶴(白鶴)を連れた姿で表現されています。なお福禄寿は財運招福・延命長寿・招徳人望などのご利益があるとされています。
行叡居士は飛鳥時代から奈良時代の伝承上の僧です。行叡居士は音羽山にある音羽の滝の傍に草庵を結び、200年間修行したとも言われています。その後奈良時代後期の778年(宝亀9年)に延鎮上人・賢心と出会うと観音力を込めたという霊木を授け、「あなたが来るのを待ち続けていた。どうかこの霊木で千手観音像を彫刻し、この観音霊地を守ってくれ」と言い残して東国に姿を消したと言われています。延鎮上人・賢心は「行叡居士は観音の化身だ」と悟ったと言われています。
子安塔は高さ約15メートルの朱塗りの三重塔(三間三重塔婆(さんげんさんじゅうとうば)です。子安塔は室町時代後期(戦国時代)の寛永年間(1624年~1643年)頃に再建されました。子安塔はかつて奈良時代に第45代・聖武天皇(しょうむてんのう)と光明皇后(こうみょうこうごう)の祈願所だったとも言われています。また子安塔はかつて仁王門(重要文化財)の左手前に建立されていたが、明治時代に現在の場所に移されました。子安塔は子安観音(千手観音)を祀り、安産のご利益があるとも言われています。
音羽の滝は標高約242メートルの音羽山(おとわやま)の山中から湧き出ています。音羽の滝は778年(宝亀9年)の清水寺創建から一度も涸れたことがなく、1年中ほぼ一定量の水が湧き続けています。音羽の滝の水はかつて菩薩さまの功徳水・心身を清める黄金水・長寿の延命水とも言われました。音羽の滝は高さ約4メートルの3本の筧(かけい)から流れ落ち、学問成就・恋愛成就・延命長寿のご利益があると言われています。音羽の滝は3本の筧から1本を選び、一口だけ飲みます。
【清水寺 備考】
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