清水寺開山堂・清水寺見どころ(修学旅行)

清水寺開山堂

●清水寺開山堂は1966年(昭和41年)6月11日に国の重要文化財に指定されました。
●一般的に開山堂は寺院の開山の像を安置する建物です。開山は寺院に最初に住した僧侶のことを指します。開山堂は祖師堂(そしどう)・御影堂(みえいどう・ごえいどう)・影堂(えいどう)などとも言われています。
●清水寺開山堂は延鎮上人(えんちんしょうにん)・賢心(けんしん)坐像を安置しています。
延鎮上人・賢心は平安時代前期の法相宗(ほっそうしゅう)の僧です。延鎮上人は奈良・子島寺(こじまでら・子嶋寺)の報恩法師に学び、法相宗の大本山である奈良・興福寺(こうふくじ)の僧となり、報恩法師の死後に子島寺を継ぎました。その後778年(宝亀9年)に京都に移り、標高約242メートルの音羽山(おとわやま・乙輪山)に庵を結び、821年(弘仁12年)に亡くなったとも言われています。なお子島寺は寺伝によると760年(天平宝字4年)に報恩法師が創建したとも言われています。
●清水寺開山堂は田村堂とも言われています。開山堂は坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)坐像と妻・三善高子(みよしたかこ)夫人坐像が安置しています。
坂上田村麻呂は758年(天平宝字2年)に父・坂上苅田麻呂(さかのうえのかりたまろ)と母・畝火浄永の娘の次男、または三男として生まれ、780年(宝亀11年)に近衛将監(こんえのしょうげん)なり、794年(延暦13年)に征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)・大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)に従って蝦夷(えぞ)を征討し、797年(延暦16年)には征夷大将軍になり、胆沢城(いさわじょう)・志波城(しわじょう)を築きました。その後清水寺を草創し、811年(弘仁2年)5月23日に54歳で亡くなりました。坂上田村麻呂は780年(宝亀11年)頃に自邸を清水寺の本堂として寄進し、798年(延暦17年)に延鎮上人とともに本堂を大規模に改築し、805年(延暦24年)には太政官符(だいじょうかんぷ)によって清水寺の寺地を賜ったとも言われています。
清水寺見どころ

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