清水寺子安塔・清水寺見所(修学旅行・観光)

清水寺子安塔

●清水寺子安塔は1966年(昭和41年)6月11日に国の重要文化財に指定されました。
●清水寺子安塔は第45代・聖武天皇と光明皇后の祈願所とも言われています。子安塔は江戸時代前期の寛永年間(1624年~1643)頃に再建されたとも言われています。
第45代・聖武天皇は701年(大宝元年)に第42代・文武天皇と藤原不比等(ふじわらのふひと)の娘・藤原宮子(ふじわらのみやこ)の間に第1皇子として生まれ、724年(神亀元年)に天皇に即位し、その後皇族皇后の慣習を破って、藤原不比等の娘・安宿媛(あすかべひめ)を非皇族初の皇后にしました。第45代・聖武天皇は仏教に深く帰依し、国分寺・国分尼寺建立の詔 (こくぶんじ・こくぶんにじこんりゅうのみことのり)や大仏造立の詔(だいぶつぞうりゅうのみことのり)を発し、749年(天平勝宝元年)に娘・阿倍内親王(あべないしんのう(第46代・孝謙天皇 第48代・称徳天皇))に譲位して出家し、756年(天平勝宝8年)5月2日に56歳で崩御しました。ちなみに第45代・聖武天皇は生前譲位した初の男性天皇とされています。
光明皇后(安宿媛・あすかべひめ)は701年(大宝元年)に藤原不比等(ふじわらのふひと)と県犬養橘三千代(あがたいぬかいたちばなのみちよ)の間に生まれ、729年(天平元年)に非皇族初の皇后(第45代・聖武天皇の妻)になりました。光明皇后は第45代・聖武天皇とともに仏教に深く帰依し、第45代・聖武天皇による国分寺・国分尼寺建立や大仏造立を助けるだけでなく、社会福祉にも尽力し、病院に当たる施薬院(せやくいん)や貧窮者・孤児の為の悲田院(ひでいん)などを設置し、760年(天平宝字4年)に亡くなりました。
●清水寺子安塔の子安観音(千手観音)は寺伝によると第45代・聖武天皇と光明皇后が祈願し、阿倍内親王(第46代・孝謙天皇 第48代・称徳天皇)を安産されたとも言われています。なお第45代・聖武天皇と光明皇后の間には男子が育たなかった。第1皇子・基王(もといおう)は生後32日で早世しました。また第45代・聖武天皇と夫人・県犬養広刀自(あがたのいぬかいのひろとじ)の第2皇子・安積親王(あさかしんのう)は17歳で亡くなりました。
●千手観音は六観音の一尊です。六観音は千手観音・聖観音(しょうかんのん)・十一面観音(じゅういちめんかんのん)・馬頭観音(ばとうかんのん)・如意輪観音(にょいりんかんのん)・准胝観音(じゅんでいかんのん)または不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)です。
観音菩薩は菩薩の一尊で、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)・観自在菩薩(かんじざいぼさつ)・救世菩薩(くせぼさつ)・観音さまなどとも言われています。観音菩薩は人々の救いを求める声を聞き、その苦悩から救済すると言われています。観音菩薩は救う相手の姿に応じて千変万化の相となると言われています。「観音経」では様々に姿を変える三十三応化身(さんじゅうさんおうげしん)が説かれています。三十三応化身(三十三応現身像(さんじゅうさんおうげんしんぞう))は仏身(ぶっしん)・辟支仏身(びゃくしぶつしん)・声聞身(しょうもんしん)・梵王身(ぼんおうしん)・帝釈身(たいしゃくしん)・自在天身(じざいてんしん)・大自在天身(だいじざいてんしん)・天大将軍身(てんだいしょうぐんしん)・毘沙門身(びしゃもんしん)・小王身(しょうおうしん)・長者身(ちょうじゃしん)・居士身(こじしん)・宰官身(さいかんしん)・婆羅門身(ばらもんしん)・比丘身(びくしん)・比丘尼身(びくにしん)・優婆塞身(うばそくしん)・優婆夷身(うばいしん)・長者婦女身(ちょうじゃぶにょしん)・居士婦女身(こじぶにょしん)・宰官婦女身(さいかんぶにょしん)・婆羅門婦女身(ばらもんぶにょしん)・童男身(どうなんしん)・童女身(どうにょしん)・天身(てんしん)・龍身(りゅうしん)・夜叉身(やしゃしん)・乾闥婆身(けんだっぱしん)・阿修羅身(あしゅらしん)・迦楼羅身(かるらしん)・緊那羅身(きんならしん)・摩ご羅伽身(まごらがしん)・執金剛身(しゅうこんごうしん)です。
【清水寺 備考】
★清水寺の見どころを紹介しています。
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