清水寺仁清記念碑・清水寺見どころ(修学旅行・観光)

清水寺仁清記念碑

●清水寺仁清記念碑は奥の院(重要文化財)から音羽の滝に向かう途中に建立されています。仁清記念碑は1920年(大正9年)に洛陶会が清水寺貫主・大西良慶(おおにしりょうけい)の後援によって建立しました。仁清記念碑は高さ約227センチ・幅約144センチ・奥行約50センチで、真言宗(しんごんしゅう)御室派(おむろは)管長・土宜法龍(どきほうりゅう)揮毫(きごう)による「仁清記念碑」が刻まれています。
野々村仁清(ののむらにんせい)は江戸時代前期に丹波国(たんばのくに)桑田郡(くわだぐん)野々村(京都府南丹市美山町大野)で生まれたとも言われています。若い頃に愛知県の瀬戸(せと)・岐阜県の美濃(みの)・京都府の粟田口(あわたぐち)などで製陶を学び、その後京都に戻りました。1647年(正保4年)頃または正保年間(1644年~1648年)頃に仁和寺(にんなじ)門跡(もんぜき)と知合い、門前の御室(おむろ)に御室窯(おむろがま)を開き、陶器は御室焼とも言われました。仁和寺門跡からは通称の「清右衛門(せいえもん)」と仁和寺の寺号「仁和寺」から号「仁清」を与えられました。仁清は当初無名の陶工にすぎなかったが、作品に「仁清」の印を捺(お)して自分の作品であることを示しました。仁清は開窯期に武将・茶人である金森宗和(かなもりそうわ)の指導のもとで、唐物(からもの)・瀬戸写しの茶入れ・高麗茶碗(こうらいじゃわん)写しなどを造り、京焼色絵陶器を大成させました。金森宗和好みの「きれいさび」の美意識に基づいて茶陶などが制作されました。仁清は轆轤(ろくろ)の技に優れ、錦手(にしきで)を得意とし、典雅優美で蒔絵 (まきえ) の趣を応用して作陶しました。国宝には色絵雉香炉(石川県立美術館)・色絵藤花図茶壺(MOA美術館)、重要文化財には色絵雌雉香炉(石川県立美術館)・色絵梅花図茶壺(石川県立美術館)・色絵金銀菱文茶碗(MOA美術館)・色絵輪宝羯磨文香炉(藤田美術館)・色絵輪宝羯磨文香炉(岡田美術館)・色絵鱗波文茶碗(北村美術館)・色絵瓔珞文花生(仁和寺霊宝館)などがあります。なお野々村仁清は江戸時代中期の1694年(元禄7年)頃に亡くなったとも言われています。
奥の院は江戸時代前期の1633年(寛永10年)に再建されました。奥の院はかつて清水寺開基である延鎮上人(えんちんしょうにん)・賢心(けんしん)と行叡居士(ぎょうえいこじ)の草庵跡とも言われています。奥の院は千手観音(せんじゅかんのん)・毘沙門天(びしゃもんてん)・地蔵菩薩(じぞうぼさつ)などを安置しています。奥の院は桁行五間・梁間五間の懸造(かけづくり)で、寄棟造(よせむねづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
音羽の滝は標高約242メートルの音羽山(おとわやま)の山中から湧き出ています。音羽の滝は778年(宝亀9年)の清水寺創建から一度も涸れたことがなく、1年中ほぼ一定量の水が湧き続けています。音羽の滝の水はかつて菩薩さまの功徳水・心身を清める黄金水・長寿の延命水とも言われました。音羽の滝は高さ約4メートルの3本の筧(かけい)から流れ落ち、学問成就・恋愛成就・延命長寿のご利益があると言われています。音羽の滝は3本の筧から1本を選び、一口だけ飲みます。
清水寺見どころ清水寺七不思議

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