清水寺奥の院・清水寺見どころ

清水寺奥の院

●清水寺奥の院は1966年(昭和41年)6月11日に国の重要文化財に指定されました。
●清水寺奥の院は本堂と同様に懸造です。奥の院は檜皮葺の寄棟造です。清水寺奥の院は千手観音・毘沙門天・地蔵菩薩などを安置しています。
一般的に奥の院は寺社の本堂・本殿よりも奥に建立され、ゆかりの深い寺社の開山や神霊などを祀る場所です。奥の院は寺社の中で最も神聖な区域とされています。なお奥の院は本堂・本殿から離れた後方の山上や岩窟(がんくつ)などに祀られることもあります。
懸造は崖などの高低差が大きい場所に仏堂などを建立する建築様式です。懸造は舞台造・崖造などとも言われています。懸造は平安時代中期には既に行われていたとも言われています。観音霊場では岩を観音菩薩(かんのんぼさつ)の降臨する霊場・補陀落山(ふだらくせん)に見立てていたとも言われています。なお補陀落山はインド南端の海岸にあり、山の形状は八角形であるとされています。日本では熊野や日光が補陀落山になぞらえられ、平安時代以降に熊野灘や足摺岬などから小船に乗って補陀落を目指す、補陀落渡海が盛んに行われました。
千手観音は六観音の一尊です。六観音は千手観音・聖観音(しょうかんのん)・十一面観音(じゅういちめんかんのん)・馬頭観音(ばとうかんのん)・如意輪観音(にょいりんかんのん)・准胝観音(じゅんでいかんのん)または不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)です。
観音菩薩は菩薩の一尊で、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)・観自在菩薩(かんじざいぼさつ)・救世菩薩(くせぼさつ)・観音さまなどとも言われています。観音菩薩は人々の救いを求める声を聞き、その苦悩から救済すると言われています。観音菩薩は救う相手の姿に応じて千変万化の相となると言われています。「観音経」では様々に姿を変える三十三応化身(さんじゅうさんおうげしん)が説かれています。
●清水寺奥の院は延鎮上人(えんちんしょうにん)・行叡居士(ぎょうえいこじ)の草庵跡とも言われています。
延鎮上人・賢心は奈良時代から平安時代前期の法相宗(ほっそうしゅう)の僧です。延鎮上人は奈良・子島寺(こじまでら・子嶋寺)の報恩法師に学び、法相宗の大本山である奈良・興福寺(こうふくじ)の僧となり、報恩法師の死後に子島寺を継ぎました。その後778年(宝亀9年)に京都に移り、標高約242メートルの音羽山(おとわやま・乙輪山)に庵を結び、821年(弘仁12年)に亡くなったとも言われています。なお子島寺は寺伝によると760年(天平宝字4年)に報恩法師が創建したとも言われています。
行叡居士は飛鳥時代から奈良時代の伝承上の僧です。行叡居士は音羽山の瀧(音羽の瀧)のほとりに草庵を結んで住し、200年間修行したとも言われています。奈良時代後期の778年(宝亀9年)に延鎮上人・賢心と出会うと観音力を込めたという霊木を授け、「あなたが来るのを待ち続けていた。どうかこの霊木で千手観音像を彫刻し、この観音霊地を守ってくれ」と言い残して東国に姿を消したと言われています。延鎮上人・賢心は「行叡居士は観音の化身だ」と悟ったと言われています。
清水寺見どころ

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