清水寺泰産寺・清水寺見どころ

清水寺泰産寺

●清水寺泰産寺は子安塔(こやすのとう)を守護する塔頭(たっちゅう)です。子安塔は寺伝によると奈良時代前期の730年(天平2年)に第45代・聖武天皇と光明皇后が御子の誕生を祈願し、安産したことから建立されたと言われています。また第45代・聖武天皇と光明皇后の祈願所だったと言われています。清水寺泰産寺は清水寺の本堂(清水の舞台)と同じく、本尊・十一面千手観音(じゅういちめんせんじゅかんのん)、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)、毘沙門天(びしゃもんてん)、二十八部衆(にじゅうはちぶしゅう)、風神(ふうじん)、雷神(らいじん)を祀っています。なお泰産寺は洛陽三十三所観音の第十四番札所になっています。
光明皇后は飛鳥時代後期の701年(大宝元年)に藤原不比等(ふじわらのふひと)と県犬養橘三千代(あがたいぬかいたちばなのみちよ)の三女・安宿媛(あすかべひめ)として生まれました。その後第45代・聖武天皇に即位する皇太子・首皇子(おびとのおうじ)と結婚し、奈良時代前期の718年(養老2年)に皇女・阿倍内親王(第46代・孝謙天皇、第48代・称徳天皇)を産み、724年(神亀元年)に第45代・聖武天皇が即位すると後宮の位階・夫人号を賜りました。727年(神亀4年)11月16日に皇太子・基王(基皇子(もといのみこ))を産んだが、728年(神亀5年)10月20日に亡くなりました。長屋王(ながやおう)の変後の729年(天平元年)8月10日に皇后の詔が発せられ、非皇族初の皇后になりました。749年(天平勝宝元年)に夫で、第45代・聖武天皇が皇女・阿倍内親王(第46代・孝謙天皇)に譲位し、756年(天平勝宝8年)5月2日に第45代・聖武天皇が崩御しました。光明皇后は第45代・聖武天皇とともに仏教に深く帰依し、第45代・聖武天皇による国分寺・国分尼寺建立や大仏造立を助けるだけでなく、社会福祉にも尽力して病院に当たる施薬院(せやくいん)や貧窮者・孤児の為の悲田院(ひでいん)などを設置しました。なお光明皇后は奈良時代中期の760年(天平宝字4年)7月27日に亡くなりました。
第45代・聖武天皇は飛鳥時代後期の701年(大宝元年)に第42代・文武天皇と藤原不比等(ふじわらのふひと)の娘・藤原宮子(ふじわらのみやこ)の間に第1皇子・首皇子(おびとのおうじ)として生まれました。奈良時代前期の714年(和銅7年)に元服して立太子され、病弱であったことから第42代・文武天皇の姉である第44代・元正天皇が即位しました。しかし724年(神亀元年)に第44代・元正天皇から譲位されて24歳で天皇に即位しました。その後皇族皇后の慣習を破って、藤原不比等の娘・安宿媛(あすかべひめ・光明子(こうみょうし))を非皇族初の皇后(光明皇后)にしました。737年(天平9年)に天然痘が流行し、740年(天平12年)に藤原広嗣の乱(ふじわらのひろつぐのらん)が起こると突然関東(伊勢国・美濃国)への行幸を始め、その後約10年間に目まぐるしく遷都(平城京(へいじょうきょう)・恭仁京(くにきょう)・難波京(なにわきょう)・紫香楽京(しがらききょう)・平城京)を行いました。第45代・聖武天皇は仏教に深く帰依し、741年(天平13年)に国分寺建立の詔 (こくぶんじこんりゅうのみことのり)、743年(天平15年)に大仏造立の詔(だいぶつぞうりゅうのみことのり)を発しました。749年(天平勝宝元年)に皇女・阿倍内親王(あべないしんのう(第46代・孝謙天皇 第48代・称徳天皇))に譲位して出家し、752年(天平勝宝4年)、に東大寺大仏の開眼法要を行いました。第45代・聖武天皇は生前譲位した初の男性天皇とされています。なお第45代・聖武天皇は奈良時代中期の756年(天平勝宝8年)5月2日に56歳で崩御しました。
洛陽三十三所観音は平安時代末期に第77代・後白河天皇が広域を巡礼する西国三十三所巡礼に代わるものとして定めたのが起源と言われています。洛陽三十三所観音は六角堂(頂法寺)・誓願寺・護浄院(清荒神)・革堂(行願寺)・真如堂・金戒光明寺・長樂寺・大蓮寺・青龍寺・清水寺善光寺堂(地蔵院)・清水寺奥の院・清水寺本堂・清水寺朝倉堂・清水寺泰産寺・六波羅蜜寺・仲源寺・三十三間堂・善能寺・今熊野観音寺・泉涌寺・法性寺・城興寺・東寺・長圓寺・法音院・正運寺・平等寺(因幡堂)・壬生寺中院・福勝寺・椿寺(地蔵院)・東向観音寺・廬山寺・清和院が札所になっています。
清水寺見どころ

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