清水寺轟門・清水寺見どころ(修学旅行)

●清水寺轟門は1966年(昭和41年)6月11日に国の重要文化財に指定されました。
●清水寺轟門は江戸時代前期の1631年(寛永8年)から1633年(寛永10年)に本堂(清水の舞台)の再建に合わせて再建されました。清水寺では2008年(平成20年)から平成の大改修が開始され、轟門は2016年(平成28年)に全面改修が完了しました。轟門はお釈迦様の教えを獅子が吼えるように四方万里に轟かせる為に名付けられたとも言われました。
お釈迦さま(釈迦牟尼 ゴータマ・シッダッタ)は仏教の開祖で、世界四聖の一人です。ちなみに仏陀とは悟った者・目覚めた者を意味するお釈迦様の尊称です。お釈迦さまは約2,500年前の旧暦の4月8日、インド国境に近いネパールのルンビニーの花園で、父・シャカ族の国王である浄飯王(じょうばんのう・シュッドーダナ)と母・摩耶夫人(まやふじん・マーヤー)との間に生まれました。お釈迦さまは生まれてすぐに7歩歩き、右手で天、左手で地を指し、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と唱えたとも言われています。29歳で出家し、35歳の旧暦の12月8日の夜明け前、明星出現と同時にブッダガヤの菩提樹の下で、悪魔の誘惑に負けずに悟りを開きました。その後約45年間に渡り、インド各地を回って教えを説き、クシナーラで亡くなりました。お釈迦さまの遺骸は火葬され、遺骨は各地のストゥーパに分けて祀られたそうです。
●清水寺轟門は三間一戸八脚門で、切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。清水寺轟門は国宝に指定されている奈良・東大寺(とうだいじ)の転害門(てんがいもん)を小さくして写したとも言われています。東大寺転害門は三間一戸八脚門で、切妻造の本瓦葺です。
東大寺転害門は奈良時代の天平宝字年間(757年~765年)頃に建立され、1180年(治承4年)の平重衡(たいらのしげひら)による南都焼討や1567年(永禄10年)の松永・三好の合戦(東大寺大仏殿の戦い)でも焼失を免れた天平時代の遺構と言われています。なお東大寺転害門は大仏造立の際、奈良時代の749年(天平勝宝元年)に東大寺の守護神として大分・宇佐八幡宮(うさはちまんぐう)から八幡神(やはたのかみ・はちまんしん)を勧請し、その際に一条通から転害門を通ったとも言われています。
切妻造は屋根の最頂部の棟(むね)から両側に葺き下ろし、その両端を棟と直角に切った屋根の形式です。切妻造は本を開いて伏せたような形で、平行な面を平(ひら)、棟と直角な面を妻(つま)と言います。切妻造は古くは真屋(まや)とも言われ、伊勢神宮(いせじんぐう)・出雲大社(いづもたいしゃ)などの社殿に採用されています。ちなみに四方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟造(よせむねづくり)よりも格式が上とも言われています。なお切妻造は世界各地で見られる屋根の形式です。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
清水寺見どころ

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