清水寺岸駒の燈籠・清水寺見どころ(修学旅行)

清水寺岸駒の燈籠

●清水寺岸駒の燈籠は棟高約14メートル・幅約10メートル・奥行き約5メートルの仁王門(重要文化財)右下で、西門(重要文化財)南側に建立されています。岸駒の燈籠は上部の円形状の穴が火袋(ひぶくろ)で、正面中央に勇壮な虎が浮き彫りされています。虎は夜になると吠え、抜け出して水を飲むことから「水飲みの虎」とも言われ、清水寺七不思議に数えられています。また虎はどこから見ても目が合うことから「八方睨みの虎」とも言われています。江戸時代中期・後期の絵師・岸駒は日本にいない虎を忠実に描く為、中国から虎の毛皮や頭蓋骨などを取り寄せたと言われています。
一般的に燈籠(灯籠)は灯火を灯す器具です。燈籠は寺院で仏像に清浄な灯りを献じる為に仏像を安置する本堂などの堂塔の前に建立されています。燈籠は仏教とともに渡来し、寺院の創建が盛んになった奈良時代から多く造られるようになりました。古代寺院では伽藍(がらん)の中軸線上に1基建立されるのが通例でした。燈籠は宝珠(ほうじゅ・擬宝珠(ぎぼうしゅ))・笠(かさ)・火袋(ひぶくろ)・中台(ちゆうだい)・竿(さお)・基礎などから構成され、火袋に灯火が灯されます。燈籠にはその形から春日(かすが)・雪見(ゆきみ)・岬(みさき)・織部(おりべ)・遠州(えんりゅう)・道成寺(どうじょうじ)・キリシタンなどの種類があります。なお奈良・当麻寺(たいまでら・當麻寺)の石灯籠(重要文化財)は白鳳時代(645年(大化元年)~710年(和銅3年))に造られ、日本最古の石灯籠とも言われています。
岸駒は江戸時代中期の1749年(寛延2年)または1756年(宝暦6年)に越中国高岡(富山県高岡市)または加賀国金沢(石川県金沢市)に生まれたとも言われています。岸駒が加賀藩に呈出した書き立てや「地下家伝(じげかでん)」などによると1756年(宝暦6年)生まれと言われています。また岸派の絵師・白井華陽(しらいかよう)が記した「画乗要略(がじょうようらく)」などによると金沢生まれたと言われています。幼少から画事を好み、紺屋(こんや)に奉公して加賀染に従事し、貧しかったことから商家の看板を見て文字を覚え、絵も独習したと言われています。先ず狩野派(かのうは)に学び、その後上洛して南蘋派(なんぴんは)・円山派(まるやまは)などに学んだとも言われています。1763年(宝暦13年)頃に「狩野花信」と称し、1775年(安永4年)に名を「岸矩」、号を「蘭斎」に改めたと言われています。1784年(天明4年)に有栖川宮(ありすがわのみや)家の近習になり、有栖川宮家の御学問所の障壁画を描き、「雅楽助」と称すことを許されました。そして名を「岸駒」、字(あざ)を「賁然(ひねん)」、号を「華陽」に改めました。1790年(寛政2年)の禁裏造営の際に障壁画を描き、その後朝廷に仕え、1802年(享和2年)に先ず右生火官人(ういけびのかんにん)になり、従六位下主殿大属(とのものだいさかん)に叙任され、1836年(天保7年)には越前守(えちぜんのかみ)になりました。1806年(文化6年)に加賀藩藩主に招かれ、金沢城二の丸御殿の障壁画を描きました。岸駒は滋賀県長浜市・大通寺の老梅図襖(長浜市指定文化財)、京都市・浄福寺の浄福寺方丈障壁画、京都市・妙覚寺の日蓮上人図などを描きました。なお岸駒は1839年(天保9年)1月19日に亡くなりました。
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