清水寺善光寺堂・清水寺見どころ

清水寺善光寺堂

●清水寺善光寺堂は元々鎌倉時代以前から地蔵菩薩(じぞうぼさつ)を本尊として祀る地蔵堂で、堂前に六地蔵も並へて祀っていたと言われています。その後如意輪観音(にょいりんかんのん)像も祀るようになり、地蔵院と言われるようになりました。鎌倉時代末期に如意輪観音像が優れた仏像だったことから信仰され、その名声が高まったとも言われています。如意輪観音像は首を少し右側に傾け、右膝を立て坐し゛六本の臂(うで)を持っています。右第二手の如意宝珠(にょいほうじゅ)と左第二手の宝輪(ほうりん)で苦を除き、ご利益を与える法力を発揮するとされています。明治時代初期に奥の院南庭の善光寺如来堂を合併し、善光寺堂と称するようになりました。なお清水寺善光寺堂は洛陽三十三所観音霊場の第十番札所です。
如意輪観音は観音菩薩の変化身(へんげしん)の一つで、六観音の一尊です。六観音は千手観音(せんじゅかんのん)・聖観音(しょうかんのん)・十一面観音(じゅういちめんかんのん)・馬頭観音(ばとうかんのん)・准胝観音(じゅんでいかんのん)または不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)です。如意輪観音は霊験を表す如意宝珠(にょいほうじゅ)と法輪(ほうりん)の力により、一切の願望を満たし、生きとし生けるものを救済します。ちなみに「如意」は如意宝珠、「輪」は法輪の略です。如意輪観音像は多くが6本の手である六臂(ろっぴ)を備え、右膝立ちに両足裏を合わせて座り、頭を右に傾けて思惟(しい)の相を示しています。
観音菩薩は菩薩の一尊で、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)・観自在菩薩(かんじざいぼさつ)・救世菩薩(くせぼさつ)・観音さまなどとも言われています。観音菩薩は人々の救いを求める声を聞き、その苦悩から救済すると言われています。観音菩薩は救う相手の姿に応じて千変万化の相となると言われています。「観音経」では様々に姿を変える三十三応化身(さんじゅうさんおうげしん)が説かれています。
洛陽三十三所観音は平安時代末期に第77代・後白河天皇が広域を巡礼する西国三十三所巡礼に代わるものとして定めたのが起源と言われています。室町時代に革堂(行願寺)から始まり、北野天満宮で終わるようになりました。しかし室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))などで一時中断しました。江戸時代前期の1665年(寛文5年)に第112代・霊元天皇の勅令によって中興され、六角堂(頂法寺)から始まり、清和院で終わるようになりました。明治維新後の廃仏毀釈で札所の一部が廃寺になり、再び中断しました。その後2005年(平成17年)に復興しました。洛陽三十三所観音は六角堂(頂法寺)・誓願寺・護浄院(清荒神)・革堂(行願寺)・真如堂・金戒光明寺・長樂寺・大蓮寺・青龍寺・清水寺善光寺堂(地蔵院)・清水寺奥の院・清水寺本堂・清水寺朝倉堂・清水寺泰産寺・六波羅蜜寺・仲源寺・三十三間堂・善能寺・今熊野観音寺・泉涌寺・法性寺・城興寺・東寺・長圓寺・法音院・正運寺・平等寺(因幡堂)・壬生寺中院・福勝寺・椿寺(地蔵院)・東向観音寺・廬山寺・清和院が札所になっています。
地蔵菩薩は菩薩の一尊です。地蔵菩薩はお釈迦様(釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ))が没し、5億7,600万年後か、56億7,000万年後に弥勒菩薩(みろくぼさつ)が出世成道するまでの間、無仏の五濁悪世(ごじょくあくせ)で六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)に苦しむ衆生を教化救済するとされています。日本では地蔵菩薩は「子供の守り神」とされ、小児の成長を見守り、夭折した小児の死後を救い取ると信じられています。親に先立って死亡した小児は親不孝の報いで苦を受け、親の供養の為に賽の河原(さいのかわら)で石の塔婆を作るが、鬼が塔婆を破壊し、何度も繰り返さなければならないが、最終的に地蔵菩薩が救済します。また地蔵菩薩は道祖神(どうそじん)と習合した為、全国の街道・辻々に石像が数多く祀られています。
清水寺見どころ

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