清水寺随求堂・清水寺見どころ(修学旅行)

●清水寺随求堂は江戸時代中期の1718年(享保3年)に再建されました。清水寺随求堂はかつて1718年(享保3年)に清水寺の塔頭(たっちゅう)・慈心院(じしんいん)を中興した僧・盛松権律師(せいしょうごんりっし)が慈心院の本堂として再建しました。2006年(平成18年)に解体修理が行われました。なお清水寺随求堂は間口約16メートル・奥行約10メートルです。
慈心院は室町時代以前に轟坊(とどろきぼう)として創建されたとも言われています。安土桃山時代に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が後継男子の出生を祈願して寺領を寄進され、寺号を慈心院に改めました。江戸時代に有力塔頭になり、清水寺目代職を輩出し、清水寺執行職(住職)を輩出する宝生院(ほうしょういん)に次ぐ地位にあったと言われています。明治維新後の神仏分離令(廃仏毀釈(はいぶつきしゃく))によって衰退し、随求堂が残されました。
盛松権律師は1718年(享保3年)に大坂和泉の安楽寺(あんらくじ)から入寺したとも言われています。
●清水寺随求堂には内陣に衆生の願いを叶える大功徳を持つ本尊(秘仏)・大随求菩薩(だいずいぐぼさつ)坐像が安置されています。また清水寺随求堂は縁結び・安産・子育ての神仏も祀っています。なお清水寺随求堂では2018年(平成30年)に1796年(寛政8年)年以来222年振りに一般公開(御開帳)されました。
大随求菩薩坐像は江戸時代中期の1728年(享保13年)に造仏されました。大随求菩薩坐像は高さ約1.1メートルで、8本の手に蛇・剣・斧などを持ち、体に金泥(きんでい)・衣に金箔(きんぱく)などが施されています。大随求菩薩坐像は七重の獅子座蓮台(ししざれんだい)に座しています。
大随求菩薩は菩提(悟り)を求める菩薩の一尊です。大随求菩薩は胎蔵曼荼羅(たいぞうまんだら)の蓮華部院(れんげぶいん・観自在院(かんじざいいん))に在し、観音菩薩(かんのんぼさつ)の変化身とされています。大随求菩薩は大随求菩薩を念じ、その真言を読誦すると衆生の求願に随って(したがって)、施し与えることから名付けられました。真言には息災・滅罪、特に求子の功能があるとも言われています。
観音菩薩は菩薩の一尊で、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)・観自在菩薩(かんじざいぼさつ)・救世菩薩(くせぼさつ)・観音さまなどとも言われています。観音菩薩は人々の救いを求める声を聞き、その苦悩から救済すると言われています。観音菩薩は救う相手の姿に応じて千変万化の相となると言われています。「観音経」では様々に姿を変える三十三応化身(さんじゅうさんおうげしん)が説かれています。
清水寺見どころ

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