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許波多神社本殿・許波多神社見所(修学旅行・観光)
許波多神社本殿
●許波多神社本殿は1906年(明治39年)4月14日に国の重要文化財に指定されました。
●許波多神社本殿は戦国時代(室町時代後期)の1562年(永禄5年)に再建されました。本殿は天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)のほか瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)・神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと・神武天皇(じんむてんのう))を祀っています。
天忍穂耳命は日本最古の歴史書「古事記(こじき)・712年(和銅5年)編纂」・日本最古の正史「日本書紀(にほんしょき)・720年(養老4年)完成」によると高天原(たかまがはら)を流れる天の安河(あまのやすのかわ)で天照大神(あまてらすおおみかみ)とその弟神・素戔嗚尊(すさのおのみこと)が誓約(うけい)で生まれた五皇子の長男です。五皇子には天穂日命(あまのほひのみこと)・天津彦根命(あまつひこねのみこと)・活津彦根命(いくつひこねのみこと)・熊野く樟日命(くまのくすびのみこと)がいます。天照大神の髪飾りの勾玉を素戔嗚尊が聖泉で濯いだ後に噛み、吹き出した霧の中から五皇子が出現したと言われています。ちなみに天照大神が素戔嗚尊から受け取った剣から宗像三女神(むなかたさんじょしん)と言われると言われる市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)・多紀理比売命(たぎりひめのみこと)・多岐都比売命(たぎつひめのみこと)が生まれたと言われています。天忍穂耳命は高皇産霊神(たかみむすひのかみ)の娘・栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)との間に皇孫と言われる瓊瓊杵尊が産まれました。ちなみに初代・神武天皇(じんむてんのう)は玄孫(やしゃご)にあたります。天忍穂耳命は葦原中国(あしはらのなかつくに)に天降ることになっていたが、降臨準備中に子神・瓊瓊杵尊が産まれたことから譲りました。なお天忍穂耳命は正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)・正哉吾勝勝速日天忍骨尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほねのみこと)・勝速日天忍穗耳尊(かちはやひあめのおしほみみのみこと)・天忍骨命(あめのおしほねのみこと)・正哉吾勝々速天穂別尊(まさかつあかつかちはやあめのほわけのみこと) などとも記されています。
●許波多神社本殿は三間社(さんげんしゃ)流造(ながれづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
流造は神社建築の一形式です。流造は正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が長く延びた形式です。流造は伊勢神宮(いせじんぐう)に代表される神明造(しんめいづくり)から発展し、奈良時代末期から平安時代に成立し、全国に広がりました。流造では上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ)がよく知られています。流造では正面(桁行)の柱間が1間(柱2本)の場合には一間社流造、3間(柱4本)の場合には三間社流造、5間(柱6本)の場合には五間社流造になります。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
許波多神社