孤篷庵特別公開/5/(日程時間・・・)

孤篷庵特別公開
孤篷庵特別公開(日程・時間・・・)を紹介しています。特別公開は約5年振りに行われます。孤篷庵は通常非公開です。特別公開では本堂(重要文化財)・茶室「忘筌(重要文化財)」と露地庭園・書院「直入軒(重要文化財)」と近江八景の庭・狩野探幽の障壁画と軸・松平不昧筆の書が公開されます。(詳細下記参照)
【孤篷庵特別公開2022 日程時間(要確認)】
孤篷庵特別公開2022(●コロナによる実施の有無・内容要確認)は2022年(令和4年)5月24日(火曜日)~6月12日(日曜日)9:30~16:00に行われます。(法務によって拝観休止の場合あり)
*参考・・・孤篷庵・京都春秋
【孤篷庵特別公開 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市北区紫野大徳寺町66
最寄り駅・バス停・・・大徳寺前(徒歩約7分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から孤篷庵は101系統(B2乗り場)、205系統(B3乗り場)、206系統(A3乗り場)
*四条河原町からは12系統、205系統
*四条烏丸からは12系統
*河原町丸太町からは204系統、205系統
路線・時刻表・運賃チェック
【孤篷庵特別公開 歴史・簡単概要】
孤篷庵特別公開(とくべつこうかい)は約5年振りに行われます。なお孤篷庵は通常非公開です。
特別公開では本堂(重要文化財)・茶室「忘筌(ぼうせん・重要文化財)」と露地庭園・書院「直入軒(じきにゅうけん・重要文化財)」と近江八景の庭・狩野探幽(かのうたんゆう)の障壁画と軸・松平不昧(まつだいらふまい)筆の書が公開されます。
本堂(方丈)は1797年(寛政9年)に茶人で、出雲国松江藩7代藩主・松平不昧(松平治郷)が古図をもとに雲林院の客殿を移して再建したと言われています。本堂は桁行七間・梁間三間で、入母屋造の桟瓦葺です。
忘筌は江戸時代後期(1751年~1829年)に造られました。忘筌は松平不昧が焼失前の古図をもとに再現した小堀遠州好みの茶室です。忘筌の名称は中国戦国時代の思想家・荘子(そうし)の句「魚ヲ得テ筌ヲ忘ル」に由来するとも言われています。
忘筌は桁行四間・梁間三間で、切妻造の桟瓦葺です。
書院は1799年(寛政11年)に再建されました。書院は桁行六間・梁間六間で、右側面入母屋造・左側面切妻造の桟瓦葺です。
庭園は史跡・名勝です。庭園は小堀遠州が作庭したとも言われています。庭園には本堂前庭・直入軒前庭(近江八景の庭)・忘筌露地庭園があります。本堂前庭は二重の刈込前垣を作り、琵琶湖を水平線に船岡山を舟に見立てた借景庭園です。
【孤篷庵 歴史・簡単概要】
孤篷庵はの1612年(慶長17年)に備中国松山藩2代藩主で、遠州流茶道の祖・小堀遠州が自らの菩提所として、黒田官兵衛の子で、筑前福岡藩初代藩主・黒田長政が創建した大徳寺の塔頭・龍光院内に大徳寺156世・江月宗玩を開山に小庵を建立したのが起源です。「孤篷」は一艘の苫舟の意で、小堀遠州が師事した大徳寺111世・春屋宗園から授かった号「孤篷庵大有」に由来しています。小堀遠州が最晩年に茶室「忘筌」を建てました。忘筌の名称は荘子の句「魚ヲ得テ筌ヲ忘ル」に由来すると言われています。また小堀遠州は故郷を模し、書院式枯山水庭園「近江八景の庭」も作庭したと言われています。1643年(寛永20年)に境内が狭かったことから龍光院内から現在の場所に移り、小堀遠州の子で、大徳寺184世・江雲宗龍が継ぎました。1793年(寛政5年)に火災で焼失しました。1797年(寛政9年)に小堀遠州を崇敬した茶人で、出雲国松江藩7代藩主・松平不昧が古図をもとに再興しました。雲林院の客殿を移して方丈と小堀遠州好みの茶室「忘筌」を再建しました。1799年(寛政11年)に松平不昧が近衛家の河原御殿の建物を移して書院「直入軒」を再建し、茶室「山雲床」を建てたと言われています。
*参考・・・孤篷庵(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia
【孤篷庵特別公開 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
孤篷庵(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報