苔寺歴史-行基菩薩が聖徳太子の別荘を寺院に改めたのが起源

苔寺(Kokedera Temple)

苔寺歴史-修学旅行・観光ポイント

苔寺の歴史は天平年間(729年~749年)に行基菩薩が聖武天皇の詔により、聖徳太子の別荘を改めて畿内四十九院に数えられる法相宗の寺院としたのが起源です。行基菩薩作の弥陀三尊を安置し、西方寺と称したと言われています。なお歴史は時代別に年表にまとめ、重要人物も紹介しています。

苔寺見どころ(庭園・開山堂など)

【苔寺が建立されている場所】

★苔寺が建立されている場所には飛鳥時代に第31代・用明天皇(ようめいてんのう)の皇子・聖徳太子(しょうとくたいし)が造営した別荘があったとも言われています。別荘には聖徳太子作の阿弥陀如来(あみだにょらい)像が安置されていたとも言われています。

【苔寺の起源・始まり】

★苔寺は奈良時代前期の天平年間(729年~749年)に僧・行基菩薩(ぎょうきぼさつ)が第45代・聖武天皇(しょうむてんのう)の詔により、聖徳太子の別荘を改めて畿内四十九院(しじゅうくいん)に数えられる法相宗(ほっそうしゅう)の寺院を創建しました。行基菩薩作の弥陀三尊(阿弥陀如来・観音菩薩(かんのんぼさつ)・勢至菩薩(せいしぼさつ))を安置し、西方寺(にしかたでら)と称したのが起源とも言われています。

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【平安時代(794年頃~1185年頃)の出来事・事件】

★806年(大同元年)に第51代・平城天皇(へいぜいてんのう)の第3皇子・真如法親王(しんにょほうしんのう)が苔寺で草庵を結んで修行したと言われています。
★平安時代初期に真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)が苔寺に一時住し、黄金池(おうごんち)で放生会(ほうじょうえ)を行ったとも言われています。

【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の出来事・事件】

★鎌倉時代前期に摂津守(せっつのかみ)・中原師員(なかはらもろかず)が苔寺を再興し、西方寺と穢土寺(えどでら)に分けられました。また招聘された浄土宗(じょうどしゅう)の宗祖・法然上人(ほうねんしょうにん)が浄土宗に改め、本尊を金泥(きんでい)にしたと言われています。
★鎌倉時代前期に浄土真宗(じょうどしんしゅう)の宗祖・親鸞聖人(しんらんしょうにん)が愚禿堂(ぐとうどう)を建立して滞在しました。
★鎌倉時代前期に鎌倉幕府第5代執権・北条時頼(ほうじょうときより)が桜堂(おうどう)を建立しました。

【南北朝時代(1337年頃~1392年頃)の出来事・事件】

★建武年間(1334年~1338年)に苔寺が荒廃したと言われています。
★1339年(延元4年・暦応2年)に臨済宗(りんざいしゅう)の禅僧である夢窓国師(むそうこくし)・夢窓疎石(むそうそせき)が室町幕府の重臣で、松尾大社(まつのおたいしゃ)宮司・藤原親秀(ふじわらのちかひで)の招請によって苔寺を再興し、西方寺と穢土寺を合寺して禅宗・臨済宗(りんざいしゅう)に改めました。夢窓疎石は庭園も作庭したと言われています。なお夢窓疎石は西方極楽浄土の教主・阿弥陀如来を本尊とすることから寺号を西方寺から西芳寺に改めました。「西芳」は「祖師西来(そしせいらい)」・「五葉聯芳(ごようれんぽう)」という禅宗の初祖・達磨大師(だるまたいし)に由来しています。
★1342年(興国3年・暦応5年)に北朝初代・光厳天皇(こうごんてんのう)が室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)を従えて苔寺に行幸しました。光厳天皇は1347年(正平2年・貞和3年)にも再び行幸しました。
★1382年(弘和2年・永徳2年)に金閣寺(きんかくじ)の前身である北山殿(きたやまてい・北山第)を造営した室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)が苔寺を訪れ、その後も度々訪れ、北山殿造営の参考にしたと言われています。

【室町時代(1336年頃~1573年頃)の出来事・事件】

★1462年(寛正3年)に第102代・後花園天皇(ごはなぞのてんのう)が苔寺に行幸したと言われています。
★室町時代中期に応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))が起こり、細川勝元(ほそかわかつもとが)を総大将とする東軍が苔寺に陣を敷き、山名宗全(やまなそうぜん)を総大将とする西軍の攻撃によって伽藍を焼失しました。
★室町時代中期に銀閣寺(ぎんかくじ)の前身である東山殿(ひがしやまどの)を造営した室町幕府8代将軍・足利義政(あしかがよしまさ)が指東庵を再建しました。足利義政は苔寺を度々訪れ、東山殿造営の参考にしたと言われています。
★1485年(文明17年)に本願寺(ほんがんじ・西本願寺)8世・蓮如(れんにょ)が苔寺を復興しました。

【戦国時代(1493年頃~1590年頃)の出来事・事件】

★1568年(永禄11)に丹波国の柳本氏による兵火によって焼失しました。その後織田信長(おだのぶなが)が天龍寺の策彦周良(さくげんしゅうりょう)に命じて苔寺を再建させました。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の出来事・事件】

★寛永年間(1624年~1643年)に苔寺が洪水によって荒廃しました。
★元禄年間(1688年~1704年)にも洪水によって荒廃しました。
★1862年(文久2年)に公卿(くぎょう)・岩倉具視(いわくらともみ)が一時湘南亭に隠棲しました。

【明治時代以降(1868年頃~)の出来事・事件】

★明治維新後の神仏分離令・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)などにより、苔寺の境内が縮小されて荒廃しました。
★1878年(明治11年)に苔寺が再興されました。
★1994年(平成6年)に苔寺はユネスコの世界遺産(文化遺産)「古都京都の文化財」に登録されました。

【苔寺の開基とされる行基菩薩】

行基菩薩は668年(天智天皇7年)に高志才智と蜂田古爾比売の長子として河内国大鳥郡で生まれました。682年(天武11年)に大官大寺(大安寺)で出家し、法相宗初伝の道昭や法相宗の祖・義淵らに法相宗を学び、民衆に仏法の教えを説き、寺院や道場を創建するだけでなく、困窮者の為に布施屋の設立などの社会事業も行いました。740年(天平12年)に第45代・聖武天皇から依頼されて大仏造立に協力し、743年(天平15年)に大仏造立の勧進に起用されました。しかし大仏造立中の749年(天平21年)に菅原寺(喜光寺)で亡くなりました。なお行基菩薩は738年(天平10年)に朝廷から行基大徳の称号が授与され、745年(天平17年)に日本初の大僧正位を授与されました。

【苔寺 備考】
*参考・・・苔寺(歴史・見どころ・・・)ホームページ

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