苔寺庭園・苔寺見どころ

苔寺庭園

●苔寺庭園は特別名勝・史跡です。
●苔寺庭園は南北朝時代の1339年(暦応2年)に天龍寺(てんりゅうじ)開山・夢窓疎石(むそうそせき)が作庭したと言われています。江戸時代以降に洪水などで荒廃し、地下水位が高い湿潤な土地だった為、苔に覆われたとも言われています。苔寺庭園は上段の枯山水式庭園と下段の池泉回遊式庭園から構成されています。枯山水式庭園は石組みだけが残されているが、作庭当初の面影が残されていると言われています。池泉回遊式庭園は「心」の字を象った黄金池(おうごんち・心字池)を中心とし、現在約120種の苔に覆われています。苔寺庭園は夢窓疎石が生前の墓(寿塔)を造形化したものと言われます。
夢窓疎石は鎌倉時代の1275年(建治元年)に伊勢国(三重県)に生まれました。幼少時に出家し、母方の一族の争いで甲斐国(山梨県)に移り、1283年(弘安6年)に甲斐・平塩寺(へいえんじ)の空阿(くうあ)に師事して天台宗・真言宗などを学びました。1292年(正応5年)に奈良・東大寺(とうだいじ)戒壇院の慈観(じかん)のもとで受戒し、その後京都・建仁寺(けんにんじ)の無隠円範(むいんえんぱん)に禅宗を学びました。その後鎌倉に赴き、奥州などを遊歴し、鎌倉時代後期の1325年 (正中2年) に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇の勅によって京都・南禅寺(なんぜんじ)の住持になりました。南北朝時代(室町時代)に室町時代初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)の帰依を受け、京都・苔寺(こけでら)の中興開山になり、京都・天龍寺(てんりゅうじ)の開山になりました。夢窓疎石は1351年(観応2年・正平6年)10月20日に亡くなりました。なお夢窓疎石は歴代天皇から国師号を生前に夢窓国師(むそうこくし)・正覚国師(しょうがくこくし)・心宗国師(しんしゅうこくし)、死後に普済国師(ふさいこくし)・玄猷国師(げんにゅうこくし)・仏統国師(ぶっとうこくし)・大円国師(だいえんこくし)に渡って賜与され、七朝帝師(しちちょうていし)とも称されました。
枯山水は池や遣水(やりみず)などの水を用いず、地形や石・砂礫(されき)などで山水の風景を表現する庭園様式です。枯山水は水がない庭で、石で滝、白砂で水などを表現する石組みを主体とし、植物が用いられてもごく僅かです。枯山水は中国の庭園や中国の宋(そう)・明(みん)の山水画(破墨山水(はぼくさんすい))などの影響を受け、南北朝時代(1336年~1392年)から室町時代(1336年~1573年)に禅宗寺院を中心に発達しました。禅宗寺院では方丈前庭などに多く作庭されました。枯山水は最初実景の写実的な模写が多かったが、次第に象徴化・抽象化が進み、石の配列による空間構成の美が重視されるようになった。枯山水は仮山水(かさんすい)・故山水(ふるさんすい)・乾泉水(あらせんすい)・涸山水(かれさんすい)などとも言われています。
池泉回遊式庭園は大きな池を中心に築山や池の中に小島・橋・名石などを配し、池の周囲に設けられた園路を回遊して鑑賞します。池泉回遊式庭園では休憩所・展望所・茶亭・東屋なども設けられます。なお回遊式庭園は室町時代に禅宗寺院、江戸時代に大名によって多く作庭され、日本庭園の集大成とも位置付けられています。
苔寺見どころ

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