金蔵寺の桜見ごろ2025平年並(4月中旬頃)桂昌院

金蔵寺桜

金蔵寺の桜見ごろ(時期・アクセス・概要)

金蔵寺の桜見ごろ(時期・ライトアップ・・・)情報を紹介しています。金蔵寺の桜見ごろは例年4月中旬頃です。金蔵寺では枝垂桜・山桜などが植えられ、桜と護摩堂などの山内の光景が美しいとも言われています。枝垂桜は金蔵寺を再建した江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の母・桂昌院お手植えとも言われているそうです。見晴台からは京都市内を一望することができます。(詳細下記参照)

【金蔵寺の桜見ごろ(例年時期)・2025年開花満開予測】

金蔵寺の桜見ごろは例年4月中旬頃です。ただ桜の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。なお2025年3月20日、ウェザーマップは桜の開花・満開が平年並で、京都で3月25日に開花、3月31日に満開になると予想しました。
京都桜見ごろ2025(清水寺・哲学の道・原谷苑・・・)

【金蔵寺桜 アクセス・マップ】

場所・・・京都府京都市西京区大原野石作町1639-11
最寄り駅・バス停・・・南春日町(徒歩約20分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*阪急電鉄京都本線・東向日駅からは南春日町行き
*JR・向日町駅からは南春日町行き
阪急バス・アクセスダイヤ

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【金蔵寺の桜見ごろ(例年時期) 概要】

金蔵寺はあまり知られていない桜の名所です。金蔵寺の桜見ごろは例年4月中旬頃です。金蔵寺は標高約642メートルの小塩山(おしおやま)の中腹、標高約350メートルに建立され、市街地よりも見ごろが遅くなります。
金蔵寺では枝垂桜(シダレザクラ)・山桜(ヤマザクラ)などが植えられ、桜と護摩堂などの光景が美しいとも言われています。枝垂桜は江戸時代(1603年~1868年)前期に金蔵寺を再建した江戸幕府5代将軍・徳川綱吉(とくがわつなよし)の母・桂昌院(けいしょういん)お手植えとも言われているそうです。なお金蔵寺では見晴台から京都市内を一望することができます。

  • 桂昌院(お玉)は京都・西陣の八百屋の娘から江戸幕府3代将軍・徳川家光の側室になり、江戸幕府4代将軍となる徳川綱吉を生んだことから「玉の輿(たまのこし)」の由来になったとも言われています。桂昌院は1627年(寛永4年)に八百屋・仁右衛門の次女として生まれ、関白・二条光平の家司・本庄宗正の養女になり、徳川家光の側室・六条有純の娘・永光院のゆかりで江戸に下り、1639年(寛永16年)に部屋子として永光院に仕え、その後春日局の目にとまって局の指導を受け、徳川家光に見初められて側室になりました。なお金蔵寺には桂昌院廟が建立され、石塔下に桂昌院の遺髪が納められていると言われています。
  • 護摩堂は江戸時代中期に江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の母・桂昌院が書院などとともに再建しました。

●京都で人気の桜名所・見ごろを紹介しています。由緒なども確認できます。(下記リンク参照)
京都桜名所・見ごろ(嵐山・仁和寺・醍醐寺・・・)

【金蔵寺 歴史・簡単概要】

金蔵寺は「金蔵寺略縁記」によると718年(養老2年)に隆豊禅師が第44代・元正天皇の勅願によって創建したと言われています。隆豊禅師は標高約642メートルの小塩山の山中で光り輝くクスノキを見つけ、「山の神」と「天狗の力」を借りて本尊・観音像を自ら刻んだとも言われています。当初、法相宗・三論宗だった言われています。728年(神亀5年)に第45代・聖武天皇から勅額「金蔵寺」を賜りました。794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇による平安京遷都の際、新都の平安を願って都の四方に経典を埋め、桓武天皇から山号「西岩倉山」を賜ったと言われています。1467年(応仁元年)に応仁の乱が起こり、焼失した言われています。江戸時代中期に江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の母・桂昌院の帰依によって再建されました。金蔵寺は十一面千手観音像を本尊として安置し、京都洛西観音霊場の第2番札所になっています。
*参考・・・金蔵寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia

【金蔵寺桜 備考】
金蔵寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
★京都の桜名所では桜の見ごろに合わせ、ライトアップを行なっているところがあります。(下記リンク参照)
京都桜ライトアップ2025(清水寺・円山公園・東寺・・・)

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