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興臨院本堂・興臨院見所(修学旅行・観光)
興臨院本堂
●興臨院本堂は1962年(昭和37年)6月21日に国の重要文化財に指定されました。
●興臨院本堂は室町時代後期(戦国時代)の天文年間(1532年~1555年)~永禄年間(1558年~1570年)に再建されたと言われています。興臨院は大永年間(1521年~1527年)に能登国守護大名で、能登畠山氏第7代当主・畠山義総(はたけやまよしふさ)が大徳寺86世・小渓紹ふ(しょうけいじょうふ)を開山に畠山家の菩提寺として創建したが、創建直後に本堂が焼失し、天文年間(1532年~1555年)に再建されたとも言われています。本堂は床の間(とこのま)が日本最古級とも言われています。本堂にはかつて狩野元信(かのうもとのぶ)・土佐光信(とさみつのぶ)などが描いた障壁画が飾られていたが、幕末から混乱期に失われ、水墨画家・村石米齋(むらいしべいさい)が描いた襖絵20面が飾られています。
村石米齋は1949年(昭和24年)10月13日に書道教諭の子として福岡県柳川市に生まれました。福岡教育大学特設書道科を卒業し、九州大学文学部美学美術史研究室で研究生になり、その後福岡県立高等学校で書道教諭を勤めました。1993年(平成5年)にパリと東京で個展を開催し、1994年(平成6年)に京都・大徳寺(だいとくじ)の塔頭(たちゅう)・興臨院(こうりんいん)の襖絵の制作を開始し、2008年(平成20年)に完成して興臨院に収めました。2006年(平成18年)にNHKハイビジョン特集「天才画家の肖像「雪舟 画聖と呼ばれた男」」の中で東京国立博物館に収蔵されている国宝「紙本墨画(しほんぼくが)秋冬山水図(冬景図)」の実物大の模写を行ないました。ちなみに「紙本墨画秋冬山水図(冬景図)」は雪舟が室町時代後期(15世紀末期~16世紀初期)に描いたと言われています。
床の間は格式が高い客間などに設けられています。床の間は座敷の床を一段高くし、掛け軸・置物・花などを飾る場所です。床の間は中世に書院造(しょいんづくり)の発達とともに形成され、室町時代以降に寺院の僧房などで香炉(こうろ)・花瓶(かびん)・燭台(しょくだい)などを飾った押し板(おしいた)・押し板床(おしいたどこ)が起源とされ、江戸時代以降に重要な座敷飾りになりました。なお床の間には本床(ほんどこ)・踏込み床(ふみこみどこ)・蹴込み床(けこみどこ)・袋床(ふくろどこ)などの種類があります。
●興臨院本堂は桁行約14.8メートル・梁間約12.0メートルで、入母屋造(いりもやづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。本堂は近世の本堂(方丈)建築よりも屋根が低くなっています。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
興臨院