広隆寺桂宮院本堂・広隆寺見どころ(修学旅行)

広隆寺桂宮院本堂

●広隆寺桂宮院本堂は1900年(明治33年)4月7日に国の重要文化財、1953年(昭和28年)3月31日に国宝に指定されました。
●広隆寺桂宮院本堂は勧進帳によると鎌倉時代前期の1251年(建長3年)以前に中観上人澄禅(ちょうぜん)が建立したと言われています。広隆寺桂宮院本堂は奈良時代の739年(天平11年)に建立された奈良・法隆寺(ほうりゅうじ)の八角円堂・夢殿(国宝)を模しているとも言われています。桂宮院本堂には聖徳太子(しょうとくたいし)が住んだという伝承が残され、法隆寺夢殿は聖徳太子一族の住居であった斑鳩宮(いかるがのみや)の旧地と言われています。なお広隆寺桂宮院本堂は八角円堂の檜皮葺、法隆寺夢殿は八角円堂の本瓦葺です。
一般的に本堂は本尊仏を安置する仏堂です。本堂は金堂・根本中堂(中堂)・仏殿などとも言われています。飛鳥時代から平安時代前半に創建された寺院では金堂と言われ、禅宗では仏殿と言われるとこが多いそうです。
法隆寺夢殿は法隆寺東院創立を記す「法隆寺東院縁起」によると奈良時代の739年(天平11年)に行信僧都(ぎょうしんそうず)が第31代・用明天皇の第2皇子・聖徳太子(しょうとくたいし)を偲び、聖徳太子一族の住居であった斑鳩宮(いかるがのみや)の旧地に建立した言われています。
一般的に八角円堂(八角堂)は平面が八角形の仏堂です。八角円堂には阿弥陀如来(あみだにょらい)・観音菩薩(かんのんぼさつ)が多く安置されています。八角円堂では法隆寺夢殿・興福寺北円堂などが知られています。
●広隆寺桂宮院本堂はかつて鎌倉時代に造仏された本尊・聖徳太子半跏像(重要文化財)を安置していたが、現在霊宝殿に移されています。
聖徳太子は古墳時代の574年(敏達天皇3年)に第31代・用明天皇と第29代・欽明天皇の第3皇女で、皇后・穴穂部間人(あなほべのはしひとのひめみこ)の第2皇子として生まれました。聖徳太子は父母がいずれも第29代・欽明天皇を父とする異母兄妹で、兄弟婚によって生まれました。聖徳太子は幼少時から聡明で、仏法を尊んだと言われています。585年(用明天皇元年)に第30代・敏達天皇が崩御すると父・橘豊日皇子(第31代・用明天皇)が即位したが、 587年(用明天皇2年)に崩御しました。593年(崇峻天皇5年)に叔母で、史上初の女帝である第33代・推古天皇が即位すると皇太子・摂政になり、第30代・敏達天皇から第33代・推古天皇までの4代に仕えて権勢を振るった蘇我馬子(そがのうまこ)ととともに天皇を補佐しました。聖徳太子は内政・外交などの政治に尽力し、603年(推古天皇11年)に冠位十二階(かんいじゅうにかい)・604年(推古天皇12年)に十七条憲法(じゅうしちじょうけんぽう)を制定したり、607年(推古天皇15年)に小野妹子(おののいもこ)を遣隋使(けんずいし)として派遣したりしました。また聖徳太子は仏教に深く帰依し、聖徳太子建立七大寺(法隆寺(斑鳩寺)・広隆寺(蜂丘寺)・法起寺(池後寺)・四天王寺・中宮寺・橘寺・葛木寺)と言われる法隆寺(ほうりゅうじ)・四天王寺(してんのうじ)などの寺院を創建したり、「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」を著したりして仏教の振興に尽くしました。聖徳太子は飛鳥時代の622年(推古天皇30年)2月22日に斑鳩宮(いかるがのみや)で亡くなりました。
広隆寺見どころ

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