広隆寺宝冠弥勒・泣き弥勒・広隆寺見どころ(修学旅行)

広隆寺宝冠弥勒・泣き弥勒

●広隆寺宝冠弥勒・泣き弥勒は国宝です。
●広隆寺宝冠弥勒・泣き弥勒は木造弥勒菩薩半跏像で、1982年(昭和57年)に建設された霊宝殿に収蔵されています。
弥勒菩薩は菩提(悟り)を求める菩薩の一尊です。弥勒菩薩は兜率天(とそつてん)の内院に住み、現在仏である釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)の次に悟りの最高の位である仏陀(ぶつだ)になることが約束され、釈迦(しゃか)入滅から56億7,000万年(5億7,600万年)後の未来に仏陀となってこの世に下り、衆生を救済すると言われる菩薩です。天界での修行中を弥勒菩薩、未来仏は弥勒如来(弥勒仏)とも称します。弥勒菩薩は飛鳥時代に日本に伝わり、平安時代に弥勒浄土信仰(上生信仰・下生信仰)が盛んになり、日本古来の山岳信仰と仏教が融合した修験道(しゅげんどう)にも取り入れられました。なお「観弥勒菩薩上生兜率天経(かんみろくぼさつじょうしょうとそつてんきょう)」・「弥勒下生経(みろくげしょうきょう)」・「弥勒大成仏経(みろくだいじょうぶつきょう)」は「弥勒三部経」と言われています。
●広隆寺宝冠弥勒は像高約123.3センチ、坐高約84.2センチの木造弥勒菩薩半跏像です。宝冠弥勒は7世紀に造仏されたと言われています。ただ右手の人差し指・小指などは後補で、面部も補修されています。宝冠弥勒は朝鮮半島で造仏されたとも、日本で造仏されたとも、また朝鮮半島から伝わった霊木を日本で造仏したとも言われています。韓国国立中央博物館に収蔵されている金銅弥勒菩薩半跏像と類似していると言われています。ちなみに日本最古の正史「日本書紀(にほんしょき)・奈良時代成立」に603年(推古天皇11年)に聖徳太子から譲り受けた仏像、623年(推古天皇31年)に新羅から請来された仏像のことが記され、宝冠弥勒がいずれかに該当するのではないかとも言われています。宝冠弥勒はアカマツの一木造で、台座に腰を掛けて左足を下ろし、右足先を左大腿部にのせて足を組み、右肘を曲げた右足にのせ、右手を頬に軽く当て、思索のポーズを示しています。下腹部などの痕跡からかつて金箔で覆われていたと言われています。なお宝冠弥勒はドイツ人哲学者であるカール・ヤスパースから「人間実存の最高の姿」と表されました。
●広隆寺泣き弥勒は像高約90センチ、坐高66.4センチの木造弥勒菩薩半跏像です。泣き弥勒は7世紀末期から8世紀初頭頃に日本で造仏されたとも言われています。泣き弥勒は朝鮮半島に現存しないクスノキ材製で、宝冠弥勒と同じ右手を頬に軽く当て、思索のポーズを示しています。沈鬱な表情で右手を頬に当てた様子が泣いているように見えることから「泣き弥勒」と言われています。
広隆寺見どころ

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