広隆寺鉄鐘・広隆寺見どころ

広隆寺鉄鐘

●広隆寺鉄鐘は1927年(昭和2年)7月21日に国の重要文化財に指定されました。
●広隆寺鉄鐘は鎌倉時代前期の1217年(建保5年)に秦末時が発願して寄進し、本尊に奉納されたとも言われています。広隆寺鉄鐘には「建保五年七月日秦末時」の銘があります。なおかつての梵鐘は平安時代後期の1165年(永万元年)に西本願寺(にしほんがんじ)に鐘楼とともに移されたとも言われています。
一般的に鐘楼は梵鐘を吊るす堂塔です。鐘楼は金堂(こんどう)・塔・講堂・経蔵・僧坊・食堂(じきどう)とともに七堂伽藍(しちどうがらん)と言われています。鐘楼は寺院で時刻や非常を告げる施設として設けられ、梵鐘の響きは功徳(くどく)になるとされました。鐘楼は古くは金堂の背後に経蔵と対し、一般に太鼓を置いた鼓楼(ころう)に対して伽藍の両翼を建立されました。鐘楼は古代中国の様式を模し、上下2層からなる楼造(たかどのづくり)の法隆寺(ほうりゅうじ)西院伽藍の鐘楼(平安時代)が唯一残された古式の鐘楼遺構と言われています。その後法隆寺東院の鐘楼(鎌倉時代)のように下層が裾(すそ)広がりの袴腰造(はかまごしつくり)や東大寺(とうだいじ)の鐘楼(鎌倉時代)のように四隅に柱を立て、四方を吹き放した吹放(ふきはなし)などの鐘楼が現れました。鐘楼は現在、高い土台の上に四本柱を立て、四方を吹抜きにしたものが一般的です。なお鐘楼は鐘撞堂・釣鐘堂などとも言われています。
西本願寺は鎌倉時代の1272年(文永9年)に浄土真宗の開祖・親鸞聖人(しんらんしょうにん)の末娘・覚信尼(かくしんに)が東山鳥辺野北大谷(元大谷)の石塔に納められていた親鸞聖人の遺骨を改葬し、東山吉水北に六角の廟堂を建立して親鸞聖人の影像(えいぞう)を安置したのが起源です。当初専修寺(せんじゅじ)と号していたが、比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)の抗議により、1321年(元亨元年)に寺号を本願寺に改めました。その後西本願寺は度々移り、1582年(天正10年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)から大坂天満の土地を寄進されて移り、更に1591年(天正19年)に豊臣秀吉から京都堀川六条の土地を寄進されて移りました。
かつての梵鐘は平安時代に梵鐘が焼失したことから平安時代後期の1165年(長寛3年・永万元年)頃に鋳造されました。室町時代に大阪にあった西本願寺の前身・石山本願寺(いしやまほんがんじ)に売られ、江戸時代前期の1620年(元和6年)に西本願寺に移されました。なお梵鐘は銅製で、高さ約158.2センチ・口径約106.4センチ・重さ約1.8トンです。
広隆寺見どころ

ページ上部へ戻る