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広隆寺薬師堂・広隆寺見所(修学旅行・観光)
広隆寺薬師堂
●広隆寺薬師堂には平安時代前期に造仏されたと言われている木造薬師如来立像が安置されています。木造薬師如来立像は像高約101.3センチで、女神の吉祥天(きっしょうてん)のような像容に造仏された吉祥薬師像です。なお広隆寺では平安時代初期の797年(延暦16年)に京都府向日市・向日神社(むこうじんじゃ)由来の霊験薬師仏壇像を迎え、弥勒菩薩から薬師如来に本尊を変更しました。ただ霊験薬師仏壇像は818年(弘仁9年)の火災で焼失し、現在の本尊が造仏されたと言われています。
吉祥天は仏教の守護神である天部の一尊です。吉祥天はヒンドゥー教の女神であるラクシュミーが仏教に取り入れられたものと言われています。ちなみに吉祥天はインド神話に於ける三女神とされています。吉祥天は父が徳叉迦(とくさか)、母が鬼子母神(きしぼじん)、夫が毘沙門天(びしゃもんてん)とされています。吉祥は繁栄・幸運を意味し、吉祥天は幸福・美・富を表す神とされ、美女の代名詞になりました。吉祥天は同じ仏教の守護神である天部の一尊・弁才天(べんざいてん)と混同されています。
薬師如来(薬師瑠璃光如来・やくしるりこうにょらい)は如来の一尊です。薬師如来は大医王(だいいおう)・医王善逝 (いおうぜんぜい) とも言われています。薬師如来は菩薩時代に衆生の病気を治すなどの十二の大願(十二誓願)を立てて如来となった東方瑠璃光浄土で説法する過去仏(教主)とされています。薬師如来は医王如来とも言われ、一般的に左手に病を癒す為の薬壷(やっこ)を持ち、右手に施無畏(せむい)の印を結んでいます。薬師如来は脇侍(きょうじ)が日光菩薩(にっこうぼさつ)・月光菩薩(がっこうぼさつ)とされ、眷属(けんぞく)である十二神将(じゅうにしんしょう)に守られています。薬師如来は現世利益を与えるとされ、飛鳥時代の680年(天武天皇9年)頃から盛んになったとも言われています。なお十二の大願は光明普照・随意成弁・施無尽仏・安心大乗・具戒清浄・諸根具足・除病安楽・転女得仏・安心正見・苦悩解脱・飲食安楽・美衣満足です。
一般的に薬師堂は薬師如来を祀る仏塔です。薬師如来を本尊とする寺院では本堂・金堂・根本中堂などとも言われています。ちなみに薬師如来を本尊とする寺院は寺号が薬師寺・薬王寺・医王寺などとも言われています。
●広隆寺薬師堂は寄棟造(よせむねづくり)の桟瓦葺(さんがわらふき)です。
寄棟造は四方向に傾斜する屋根面を持つ屋根の形式です。寄棟造は大棟(おおむね)の両端から四方に隅棟(すみむね)が降り、2つの台形と2つの二等辺三角形で構成されます。いずれも奈良県の東大寺の大仏殿や正倉院(しょうそういん)・唐招提寺(とうしょうだいじ)の金堂が代表例です。
桟瓦葺は平瓦と丸瓦を一体化させた波型の桟瓦を使用して屋根を葺く方法です。ちなみに本瓦葺は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
【広隆寺 備考】
*参考・・・京都・広隆寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia
●広隆寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
広隆寺歴史(秦河勝・聖徳太子)
●広隆寺の見どころ(桂宮院本堂・講堂など)を紹介しています。
広隆寺見どころ(桂宮院本堂・講堂など)