高山寺鳥獣人物戯画・高山寺見どころ

高山寺鳥獣人物戯画

●高山寺鳥獣人物戯画は国宝です。
●高山寺鳥獣人物戯画は作者は明確ではありません。天台宗の僧で、戯画の名手・鳥羽僧正覚猷(とばそうじょうかくゆう)とも、絵仏師・定智(じょうち)とも、義清阿闍梨(ぎせいあじゃり)とも言われています。なお高山寺鳥獣人物戯画は複数の作者によって別個に描かれ、高山寺に伝来して鳥獣人物戯画として集成しました。
鳥羽僧正覚猷は平安時代後期の1053年(天喜元年)に宇治大納言と称された公卿・源隆国(みなもとのたかくに)に第9子として生まれました。若くして天台寺門宗の総本山・三井寺(みいでら・園城寺(おんじょうじ))の覚円(かくえん)に師事して出家し、天台仏教・密教を学び、画技にも長じました。園城寺法輪院に住し、自らの画術を磨くだけでなく、絵師の育成にも尽力しました。その間に収集し、書写した図像は法輪院本と言われています。その後和宗の総本山・四天王寺(してんのうじ)別当、摂関期最大級の寺院である法成寺(ほうじょうじ)別当、三井寺長吏などを歴任しました。また1121年(保安2年)に法印大和尚位(だいおしょうい)に叙せられ、1132年(天承2年・長承元年)に僧正(そうじょう)に任じられ、1134年(長承3年)に大僧正(だいそうじょう)に任じられ、1138年(保延4年)に47世天台座主になったが、3日で退任しました。その後信任が厚かった鳥羽上皇(第74代・鳥羽天皇)が住む鳥羽離宮の証金剛院(しょうこんごういん)に移り、その護持僧(ごじそう)になって鳥羽僧正と言われました。鳥羽僧正覚猷はユニークでユーモアあふれる作風から漫画の始祖とも言われ、風刺画は鳥羽絵とも言われました。「古今著聞集」では「ならびなき画かき」と記されています。なお鳥羽僧正覚猷は1140年(保延6年)10月27日に亡くなりました。
定智は平安時代後期の画僧とも言われています。三井寺(園城寺)法輪院の鳥羽僧正覚猷の下で密教図像(白描図像)の収集に協力し、その後真言宗醍醐派総本山・醍醐寺(だいごじ)、高野山真言宗総本山・(こんごうぶじ)に移って作画に携わり、1132年(長承元年)に落慶した大伝法院の壁画を宅磨為遠(たくまためとお)とともに制作しました。1145年(久安元年)に「善女竜王像」を制作し、金剛峯寺に現存しています。定智は新来の宋画に基づき、鋭く伸びやかな墨線を駆使した画風を特徴としています。
義清阿闍梨は平安時代中期の天台宗の僧とも言われています。義清阿闍梨は比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)の塔頭・無動寺(むどうじ)の阿闍梨だったと言われています。「今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)・平安時代末期成立」に馬鹿げたお道化た嗚呼絵(おこえ)の上手(じょうず)として知られ、簡略な線で戯画を描いたと記されています。
高山寺見どころ

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