聖護院高祖報恩大会(日程・時間・・・)

聖護院高祖報恩大会

聖護院高祖報恩大会(日程・時間・・・)を紹介しています。高祖報恩大会は例年6月7日に行われています。高祖報恩大会は修験道の祖である役行者(えんのぎょうじゃ)・役小角(えんのおづの)の命日に役行者を偲ぶ行事です。なお高祖報恩大会では採灯大護摩供が行われます。なお高祖報恩大会では献茶式・法華懺法講法要も行われます。(要確認)

【聖護院高祖報恩大会2016 日程時間(要確認)】
聖護院高祖報恩大会2016は2016年6月7日(火曜日)15:00から行われます。

【聖護院高祖報恩大会 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市左京区聖護院中町15
最寄り駅・バス停・・・熊野神社前(徒歩約3分)

アクセス路線は次の通りです。
*京都駅から聖護院は206系統(D2乗り場)
*四条河原町からは31系統、201系統、203系統
*四条烏丸からは31系統、201系統、203系統
*河原町丸太町からは204系統
路線・時刻表・運賃チェック

*京阪電鉄鴨東線の場合、最寄り駅は神宮丸太町駅(徒歩約7分)

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【聖護院高祖報恩大会 歴史・簡単概要】
聖護院高祖報恩大会(こうそほうおんたいえ)は修験道の祖である役行者(えんのぎょうじゃ)・役小角(えんのおづの)の命日に役行者を偲ぶ行事です。高祖報恩大会では採灯大護摩供が行われます。
高祖報恩大会では山伏による問答・法弓の儀(ほうきゅうのぎ)・法剣の儀(ほうけんのぎ)・法斧の儀(ほうふのぎ)が行われ、導師によって祈願文が読み上げられます。その後に護摩壇に点火し、護摩木が焚き上げられます。ちなみに採灯大護摩供の煙には罪・穢れを祓い清めるなどのご利益があるとも言われています。なお高祖報恩大会では献茶式・法華懺法講法要も行われます。(要確認)
役行者は飛鳥時代から奈良時代の呪術僧で、修験道の祖とされています。役行者は634年(舒明天皇6年)に父・大角と母・白専女の間で、賀茂一族(高賀茂朝臣)として生まれ、17歳で奈良・元興寺(がんごうじ)で孔雀明王の呪法を学び、葛城山・熊野・大峰で山岳修行を続け、吉野金峯山で金剛蔵王大権現を感得し、日本古来の山岳信仰(宗教)や山修行(山岳修行)と外来の密教(仏教)などを融合させた修験道の基礎を築き、701年(大宝元年)6月7日(新暦の7月16日)に68歳で大阪箕面・天上ヶ岳で亡くなったと言われています。なお役行者は1799年(寛政11年)に光格天皇から諡号・神変大菩薩(じんぺんだいぼさつ)を賜りました。
採灯大護摩供(大柴燈護摩供・だいさいとうごまく)の起源は真言宗の開祖である弘法大師・空海の孫弟子である理源大師(りげんだいし)・聖宝(しょうぼう)とも言われています。

【聖護院 歴史・簡単概要】
聖護院(しょうごいん)・聖護院門跡は1090年(寛治4年)に白河上皇(第72代・白河天皇)が熊野三山を参詣する熊野御幸の際、先達を務めた増誉大僧正(ぞうよだいそうじょう)が寺院を賜り、聖体護持の二字から聖護院としたのが起源と言われています。増誉大僧正は奈良・大峰修行を行った天台第5代座主で、天台寺門宗の宗祖である智証大師(ちしょうだいし)・円珍(えんちん)の後を継いで大峰修行を行い、熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社を統轄する初代熊野三山検校職(くまのさんざんけんぎょう)に任命されたそうです。その後第77代・後白河天皇の皇子・静恵法親王(じょうえほっしんのう)が入寺して門跡寺院になりました。しかし応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火によって焼失し、洛北岩倉に移ったが、再び火災に見舞われたことから烏丸今出川に移りました。その後1675年(延宝3年)の延宝の大火でも延焼し、1676年(延宝4年)に現在の旧地に戻りました。
聖護院は本山修験宗の総本山です。
*参考・・・聖護院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

【聖護院高祖報恩大会 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
聖護院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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