久邇宮邦彦王(くにのみやくによしおう)と祇園祭
久邇宮邦彦王と祇園祭
久邇宮2代当主・久邇宮邦彦王は1873年(明治6年)に生まれ、1902年(明治35年)に陸軍大学校を卒業し、同年7月に祇園祭を見物しました。父・久邇宮朝彦親王は京都の寺社や伝統・文化を深く愛したとされ、久邇宮邦彦王にも京都の伝統・文化を深く愛する精神が受け継がれたのかもしれません。久邇宮邦彦王には祇園祭前祭の山鉾巡行を見物した記録が残されています。
【祇園祭2027 日程】
祇園祭2027は2027年(令和9年)7月1日(木曜日)の吉符入から2027年(令和9年)7月31日(土曜日)の疫神社の夏越祭までの7月1ヶ月に渡って行われます。
祇園祭2027日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)
【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑(しんせんえん)に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来(やくしにょらい)の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散(びょうまたいさん)を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。970年(天禄元年)から毎年に行われるようになりました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)
【久邇宮邦彦王(くにのみやくによしおう)】
久邇宮2代当主・久邇宮邦彦王は1873年(明治6年)に生まれ、1902年(明治35年)に陸軍大学校を卒業し、同年7月に祇園祭を見物しました。久邇宮邦彦王の父・久邇宮朝彦親王(くにのみやあさひこしんのう)は青蓮院(しょうれんいん)や朝彦親王邸に拠点を置き、京都の寺社や伝統・文化を深く愛したとされ、久邇宮邦彦王にも京都の伝統・文化を愛する精神が受け継がれたのかもしれません。久邇宮邦彦王は1881年(明治14年)に寺町神宮教会、1882年(明治15年)に寺町神宮教会、1888年(明治21年)に市原方、1902年(明治35年)に市原方で祇園祭前祭の山鉾巡行を見物した記録が残されています。
「京都日出新聞」1902年(明治35年)7月18日の記事に「昨十七日は祇園会(祇園祭)の当日なるを以て、久邇宮邦彦王殿下には午前八時四十分御出門、烏丸通姉小路下る市原与三郎氏方に御臨御の上、山鉾の巡行を親しく御通覧あらせられ、午後零時三十分御帰邸あらせられたり。」と記され、7月17日に久邇宮邦彦王が前祭の山鉾巡行を見物したことが分かります。久邇宮邦彦王は午前8時40分に出発し、烏丸通姉小路下ルの市原与三郎の邸宅を訪れ、山鉾巡行を熱心に見物し、午後0時30分に帰りました。ちなみに前祭の山鉾巡行では四条烏丸を出発し、四条通を東側に進み、四条寺町で方向転換し、寺町通を南側に進み、寺町松原で方向転換し、松原通を西側に進み、松原烏丸で解散していました。市原与三郎氏は情報が少なく京都の格式高い名士とも言われています。久邇宮邦彦王が見物した場所は烏丸通姉小路下るではなく、四条通沿いと推測できます。姉小路通は北側の御池通と南側の三条通の間を東西に伸びており、高い建物が多くないと思われる明治時代でも見物には向いていないと考えられます。
「大阪朝日新聞」1902年(明治35年)7月18日の記事に「久邇宮邦彦王殿下には昨十七日祇園会(祇園祭)御見物の為め、午前八時三十分御出門、烏丸姉小路下ル市原与三郎方へ臨御、山鉾巡行を御通覧の上午後零時三十分還邸あらせられたり。」と記され、「京都日出新聞」と同様に久邇宮邦彦王が前祭の山鉾巡行を見物したことが分かります。久邇宮邦彦王は午前8時30分に出発し、烏丸通姉小路下ルの市原与三郎の邸宅を訪れ、山鉾巡行を見物し、午後0時30分に帰りました。「大阪朝日新聞」と「京都日出新聞」では出発時間が10分異なります。
●久邇宮邦彦王は1873年(明治6年)7月23日に久邇宮朝彦親王と泉萬喜子の間に久邇宮朝彦親王の第3王子として生まれました。1887年(明治20年)に朝彦親王の継嗣と定められ、京都府立中学・学習院を経て、成城学校に入学しました。1891年(明治24年)に朝彦親王が亡くなると久邇宮を継承し、1893年(明治26年)に貴族院皇族議員になりました。1896年(明治29年)に陸軍士官学校を卒業し、1902年(明治35年)に陸軍大学校を卒業しました。1904年(明治37年)に日露戦争に出征し、歩兵少佐に昇進し、功四級金鵄勲章を受章しました。1910年(明治43年)に歩兵第38連隊長になり、1917年(大正6年)に第15師団長になり、その後近衛師団長・軍事参議官・陸軍大将を歴任しました。久邇宮邦彦王は1899年(明治32年)に島津俔子と結婚し、1903年(明治36年)に第1王女・良子女王が生まれ、宮中某重大事件を経て、1924年(大正13年)に良子女王が昭和天皇(皇太子・裕仁親王)と成婚し、香淳皇后になりました。宮中某重大事件は枢密院議長・山縣有朋が元老・西園寺公望と元老・松方正義とともに婚約を辞退させようと謀りました。なお久邇宮邦彦王は1929年(昭和4年)1月27日に亡くなりました。
【久邇宮邦彦王と祇園祭 備考】
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祇園祭2027日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)














