カテゴリー:妙心寺

  • 蟠桃院

    蟠桃院

    蟠桃院を創建した前田玄以(まえだげんい)は織田信長・豊臣秀吉に仕え、五奉行の一人に任じられたが、関ヶ原の戦いでは参戦しませんでした。関ヶ原の戦い後は金剛寺で謹慎し、徳川家康に許されて本領安堵されました。
  • 長興院

    長興院

    長興院を創建した滝川一益(たきがわかずます)は織田信長に仕え、関東管領に命ぜられました。しかし本能寺の変後の賤ヶ岳の戦では柴田勝家・織田信孝とともに豊臣秀吉に敗れ、伊勢5郡を秀吉に差し出して降伏しました。
  • 天授院

    天授院

    天授院を創建した妙心寺2世・授翁宗弼(じゅおうそうひつ)は南朝初代・後醍醐天皇に仕えていたが、洛北岩倉で得度し、20年間の隠遁後に妙心寺開山・関山慧玄(かんざんえげん)に参禅して法を嗣ぎました。
  • 天祥院

    天祥院

    天祥院には2008年(平成20年)綴プロジェクトにより、明治維新後の廃仏毀釈によって流出した狩野山楽晩年の最高傑作のひとつとされている「老梅図襖」の高精細複製が寄贈しました。なお本物はメトロポリタン美術館に所蔵されています。
  • 通玄院

    通玄院

    通玄院の開祖である妙心寺219世・虚櫺了廓(きょれいりょうかく)は中国から来日した隠元隆琦(いんげんりゅうき)の法会に参加し、日本人僧を統率しました。なお隠元は宇治市にある黄檗宗大本山の萬福寺(まんぷくじ)を創建しました。
  • 東海庵

    東海庵

    東海庵は妙心寺四派のひとつである東海派の本庵です。東海派以外には龍泉庵の龍泉派(景川宗隆)・聖澤院の聖澤派(東陽英朝)・霊雲院の霊雲派(特芳禅傑)があり、妙心寺は「四派四本庵(しはしほんあん)」で運営されました。
  • 大通院

    大通院

    大通院の2世には山内一豊の養子・湘南宗化(しょうなんそうか)がなったこともあり、霊屋内に山内一豊夫婦の無縫塔があります。なお山内一豊の妻・見性院は夫に馬を買わせる為に大金を差し出し、良妻賢母の見本とされています。
  • 大機院

    大雄院

    大雄院は当初伏見城にあった石川屋敷の建物を移したものだったが、1670年(寛文10年)に堂宇が新しく建て替えられ、1727年(享保12年)には石川光忠の100年の遠諱(遠忌)を営む為に現存の方丈が建立されました。
  • 大龍院

    大龍院

    大龍院には「関山国師洗脚石」があります。洗脚石は妙心寺開山・関山慧玄が天龍寺・夢窓疏石を訪問する際、油掛地藏尊の前を流れる川で足を洗っていたが、天龍寺の僧侶が洗いやすいように川の畔に移したと言われている石です。
  • 智勝院

    智勝院

    智勝院の開祖である妙心寺74世・単伝士印は紫衣事件で連座し、出羽・泉流寺に配流されました。なお紫衣事件は高僧が着る法衣・紫衣の勅許は朝廷の権限であったが、1615年(元和元年)以降幕府の許可のない紫衣を剥奪したことが原因です。
  • 慈雲院

    慈雲院

    慈雲院が創建された際、塔頭・松濤庵(しょうとうあん)と大森の寿仙寺(じゅぶつじ)を合寺しました。なお松濤庵は1622年(元和8年)檀越・河崎屋宗興が慈雲院の開祖である湛月紹円を中興の祖として、創建しました。
  • 聖澤院

    聖澤院

    聖澤院は妙心寺四派のひとつである聖澤派の本庵です。聖澤派以外には龍泉庵の龍泉派(景川宗隆)・東海庵の東海派(悟渓宗頓)・霊雲院の霊雲派(特芳禅傑)があり、妙心寺は「四派四本庵(しはしほんあん)」で運営されました。

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