京都御所清涼殿・京都御所見どころ

京都御所清涼殿

●京都御所清涼殿は平安時代後期の1855年(安政2年)に古式に則って再建されました。794年(延暦13年)に第50代・桓武天皇が平安京に遷都した際、天皇の私的な在所である内裏(だいり)の殿舎のひとつとして造営されたと言われています。平安時代初期に天皇の日常生活の居所は仁寿殿(じじゅうでん)・常寧殿(じょうねいでん)だったが、平安時代中期以降に清涼殿になり、日常の政務や四方拝(しほうはい)・叙位(じょい)・除目(じもく)などの行事が行われるようになりました。その後度々焼失と再建を繰り返し、鎌倉時代の1227年(安貞元年)の火災以降に内裏は再建が放棄されました。清涼殿代は臨時の皇居である里内裏(さとだいり)でも再建されました。現在の京都御所の前身である土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)でも再建され、1392年(明徳3年)の南北朝の合一以後に土御門東洞院殿が皇居になりました。その後も焼失と再建を繰り返し、江戸時代には慶長(1613年)・寛永(1642年)・承応(1655年)・寛文(1662年)・延宝(1675年)・宝永(1709年)・寛政(1790年)・安政(1855年)の8回も内裏が再建されました。
●京都御所清涼殿には昼御座(ひのおまし)・夜御殿(よんのおとど)・弘徽殿上御局(こきでんのうえのみつぼね)・藤壺上御局(ふじつぼのうえのみつぼね)・萩戸(はぎのと)・御湯殿上(おゆどののうえ)・御手水間(おちょうずのま)・朝餉間(あさがれいのま)・台盤所(だいばんどころ)・鬼の間(おにのま)などがあります。昼御座には天皇の休息所である御帳台(みちょうだい)があり、帳の前に獅子と狛犬が置かれていました。
鬼の間は御所の裏鬼門の位置し、かつて964年(康保元年)に大和絵師・飛鳥部常則(あすかべのつねのり)が鬼を退治する白沢王(はかたおう)像を描いたと言われています。白沢王は古代インド波羅奈国(はらなこく)の王で、鬼を捕らえた剛勇の武将とされています。
●京都御所清涼殿は桁行9間、梁間2間で、入母屋造(いりもやづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。京都御所清涼殿は四方に廂(ひさし)をめぐらし、南側以外に簀子縁(すのこえん)もめぐらされています。東側の廂には床高を一段低くした孫廂も付いています。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
京都御所見どころ

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