京都御苑・二条城桜散策コース(京都御所・相国寺・神泉苑)
京都御苑・二条城桜散策コース
京都御苑・二条城桜散策コースは市民の憩いの場である京都御苑と世界遺産である二条城周辺の桜名所を散策するコースです。京都御苑では車還桜など多品種の桜の木が植えられ、3月下旬頃から約1ヶ月に渡ってお花見を楽しめます。ちなみに京都御苑は無料です。二条城は京都御苑と同様に多品種の桜の木が植えられ、染井吉野が桜の標準木になっています。京都御苑・二条城桜散策コース周辺には京都御所・晴明神社・相国寺・神泉苑などもあり、チャンスがあれば立ち寄りましょう。二条城では桜ライトアップを行うことがあります。
【京都御苑・二条城桜散策コース】
【桜の見頃(例年)】
●2025年1月9日、ウェザーニュースは京都嵐山で3月28日にソメイヨシノが開花すると予想しました。(順次情報更新中)
京都御苑・・・3月下旬頃~4月中旬頃
京都御所・・・4月上旬頃
神泉苑・・・4月上旬頃~4月中旬頃
二条城・・・4月上旬頃
京都桜見ごろ2025(清水寺・哲学の道・原谷苑・・・)
【京都御苑(きょうとぎょえん) 概要】
京都御苑では車還桜・枝垂桜・山桜・霞桜・御衣黄など約1,000本の桜の木が分布し、桜と苑内が見どころです。近衞家邸跡には枝垂桜約60本が植えられています。京都御苑は上京区にある国民公園です。苑内には京都御所・仙洞御所・大宮御所・京都迎賓館や宗像神社・厳島神社・白雲神社などがあります。京都御苑は天正年間に関白・豊臣秀吉が公家を御所周辺に移住させたことから江戸時代には200もの宮家・公家の邸宅が立ち並んでいました。明治に首都が東京に移ると荒廃した為、1877年(明治10年)に輔相・岩倉具視が旧慣保存の為、御所の保存を建議しました。そして京都府が火災延焼を防ぐ為、御所周辺の空き家を撤去して整備しました。
京都御苑桜見ごろ
【京都御所(きょうとごしょ) 概要】
京都御所では紫宸殿前に左近の桜、御三間・御学問所前に広がる広場に枝垂桜など分布し、桜と紫宸殿・御三間などが見どころです。京都御所は794年(延暦13年)の平安京遷都の際、内裏に代わる臨時の里内裏・土御門東洞院殿があった場所です。内裏は火災で度々焼失し、1227年(安貞元年)の火災ではほぼ焼失し、その後再建されることはありませんでした。その後南北朝時代に後醍醐天皇が京都を逃れ、光厳天皇が北朝初代天皇になると土御門東洞院殿が北朝の内裏に定着し、1392年(明徳3年)の南北朝の合一後に正式な御所になりました。その後足利義満が敷地を拡大し、織田信長や関白・豊臣秀吉が整備しました。ただその後度々焼失し、その都度再建されたり、建て替えられたりし、1855年(安政2年)に現在の内裏が再建されました。
京都御所桜見ごろ
【晴明神社(せいめいじんじゃ) 概要】
晴明神社は1007年(寛弘4年)に一条天皇の命により、陰陽師・安倍晴明の遺業を讃え、その屋敷跡に社殿を造営したのが起源と言われています。安倍晴明は天体の星や雲の動きを観察し、宮殿の異変や遠方での吉凶を言い当てたとも言われています。晴明神社は当初、東は堀川通・西は黒門通・北は元誓願寺通・南は中立売通に囲まれた広大な社地を有していたが、兵火や関白・豊臣秀吉の命によって社地は縮小し、社殿も荒廃しました。幕末以降氏子が中心になって社殿を整備し、1950年(昭和25年)に社地も拡張されました。
晴明神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【相国寺(しょうこくじ) 概要】
相国寺は1382年(永徳2年)に足利義満が室町第の東に夢窓疎石を開山に一大禅宗伽藍を建立することを発願したのが起源です。相国寺の寺号は足利義満が左大臣(相国)だったことに由来しています。相国寺は1392年(元中9年)に伽藍が完成し、約144万坪の広大な寺地に50余りの塔頭があったと言われています。その後度々焼失し、1403年(応永10年)に史上最も高かったと言われる七重大塔が落雷で焼失しました。その後も応仁の乱などで焼失し、1584年(天正12年)に中興の祖・西笑承兌が再建しました。しかしその後も度々焼失し、1788年(天明8年)の天明の大火で法堂(本堂)・浴室以外の伽藍は焼失しました。
相国寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【神泉苑(しんせんえん) 概要】
神泉苑では染井吉野・枝垂桜などの桜の木が分布し、桜と境内の法成就池・朱塗りの法成橋が見どころです。神泉苑は794年(延暦13年)の平安京遷都の際、大内裏の南に接する場所に造営された禁苑(宮中の庭)でした。禁苑は大池・泉・小川・小山・森林などを取り込んで造られ、乾臨閣・右閣・左閣・西釣台・東釣台・滝殿・後殿などの宮殿が造営されました。824年(天長元年)に弘法大師・空海が淳和天皇の勅命により、北印度の無熱池の善女龍王を勧請して祈雨を行ったと言われています。863年(貞観5年)に疫病が流行し、疫病を鎮める御霊会が行われました。1603年(慶長8年)に徳川家康が二条城を築城した際、敷地の大部分が二条城に組み入れられ、規模が大きく減少しました。
神泉苑(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【二条城(にじょうじょう) 概要】
二条城では染井吉野・枝垂桜・普賢象・鬱金・関山など約50種・約380本の桜の木が分布し、桜と桜の園・清流園などが見どころです。観桜茶会・ライトアップを行うことがあります。二条城は平安時代に禁苑(宮中の庭)だった神泉苑の一部でした。1601年(慶長6年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康が京都御所の守護・将軍の宿泊所として築城を開始し、1603年(慶長8年)に二の丸御殿が完成しました。1624年(寛永元年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光が後水尾天皇の行幸の際に大規模な改修・増築を行い、1626年(寛永3年)に後水尾天皇と中宮・東福門院が行幸して5日間滞在しました。1750年(寛延3年)に雷火で天守が焼失し、1788年(天明8年)に天明の大火で本丸などが焼失しました。
二条城桜見ごろ・二条城桜ライトアップ
【京都御苑・二条城桜散策コース 備考】
散策コースではグーグルマップを使用して、スポットを紹介しています。
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