京都梅名所・洛北洛東山科(府立植物園・隨心院・・・)
京都梅名所・洛北洛東山科
京都洛北・洛東・山科にある梅の名所(寺院・神社など)を紹介しています。京都では例年2月頃から3月頃に梅の見ごろを迎えることが多いが、その年の気候や梅の名所の地理的条件などによって多少前後することがあります。最近は地球温暖化の影響により、少し見頃が早くなることが多いようです。
【京都梅名所 基礎知識】
花見と言うと現在は桜を連想するが、奈良時代に花見と言えば、中国から伝わった梅だったそうです。しかし平安時代になると梅から桜に少しずつ変わって行ったそうです。それは貴族などが詠んだ和歌などにも現れ、「万葉集(奈良時代末期頃成立)」では梅を詠んだ歌が119首、桜を詠んだ歌が42種だったが、「古今和歌集(平安時代前期成立)」では梅を詠んだ歌が18首、桜を詠んだ歌が70種とその数が逆転します。(誤差あり)
【京都梅名所・洛北洛東山科 マップ・地図】
上賀茂神社・・・2月中旬~3月中旬頃
京都府立植物園・・・2月中旬~3月下旬頃
しょうざん庭園・・・3月上旬~中旬頃
【洛北 上賀茂神社】
上賀茂神社(かみがもじんじゃ)は起源が明確ではありません。上賀茂神社は社伝によると神代の昔に賀茂別雷命(かもわけいかづちのかみ)が現社殿の北北西にある秀峰・神山(こうやま)に降臨したのが起源とも言われています。
上賀茂神社・梅名所
【洛北 京都府立植物園】
京都府立植物園(きょうとふりつしょくぶつえん)は1924年(大正13年)に日本最初の公立植物園として開園しました。ただ太平洋戦争後の1946年(昭和21年)に連合国軍に接収され、1957年(昭和32年)に返還され、1961年(昭和36年)から再開しました。
京都府立植物園・梅名所
【洛北 しょうざん庭園】
しょうざん庭園(しょうざんていえん)は洛北・鷹ケ峯三山を借景にした日本庭園です。庭園内には峰玉亭・湧泉閣・聴松庵・玉庵などの建物が点在し、回遊式庭園・北庭園には紙屋川が流れ、北山台杉や紀州青石が使われ、梅や楓が巧みに配置されています。
しょうざん庭園・梅名所
下鴨神社・・・2月上旬~3月上旬頃
平安神宮・・・2月上旬~3月上旬頃
金戒光明寺・・・3月上旬~3月下旬頃
大豊神社・・・3月上旬~3月中旬頃
雲龍院・・・2月中旬~3月中旬頃
聴松院・・・・2月中旬~3月中旬頃
智積院・・・2月中旬~3月中旬頃
法住寺・・・3月上旬~3月下旬頃
東北院・・・2月中旬~3月中旬頃
【洛東 下鴨神社】
下鴨神社(しもがもじんじゃ)は起源が明確ではありません。下鴨神社は社伝によると神武天皇の御代に比叡山西麓の御蔭山(みかげやま)に賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が降臨したのが起源と言われています。
下鴨神社・梅名所
【洛東 平安神宮】
平安神宮(へいあんじんぐう)は1895年(明治28年)3月15日に平安京遷都1,100年を記念して行われた内国勧業博覧会の目玉として、平安京遷都当時の宮城である大内裏(だいだいり)の一部を復元して創建されました。当初大内裏があった千本丸太町に計画されたが、用地買収に失敗しました。
京都・平安神宮・梅名所
【洛東 金戒光明寺】
金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)は浄土宗の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)が最初に結んだ草庵が起源です。その後金戒光明寺第5世・恵顗が伽藍を整え、紫雲山光明寺と号しました。
金戒光明寺・梅名所
【洛東 大豊神社】
大豊神社(おおとよじんじゃ)は社伝によると887年(仁和3年)藤原長良(ふじわらのながら)の娘で、宇多天皇の女官・藤原淑子(しゅくし・よしこ)が宇多天皇の病気平癒祈願の為、医薬祖神・少彦名命を椿ヶ峰に祀ったのが起源と言われています。
大豊神社・梅名所
【洛東 雲龍院】
雲龍院(うんりゅういん)は1372年(応安5年)後光厳天皇が竹巌聖皐律師(ちくがんしょうこうりっし)を開山として菩提所に建立しました。その後応仁の乱の兵火によって焼失し、後柏原天皇から後土御門天皇の御殿を賜り、本堂が再建されました。
雲龍院・梅名所
【洛東 聴松院】
聴松院(ちょうしょういん)は清拙正澄(せいせつしょうちょう)が創建した塔所・瑞松庵が起源と言われています。1453年(享徳2年)清拙正澄が建仁寺・雲興庵跡に祖塔を復興し、檀越・細川満元の号に因んで聴松院としました。
聴松院・梅名所
【洛東 智積院】
智積院(ちしゃくいん)は興教大師・覚鑁が建立した大伝法院の塔頭でした。1585年(天正13年)大伝法院が豊臣秀吉と対立し、根来攻めによって炎上しました。その後1601年(慶長6年)玄宥(げんゆう)が徳川家康から東山・豊国神社の付属寺院の土地・建物を寄進されて再興しました。
智積院・梅名所
【洛東 法住寺】
法住寺(ほうじゅうじ)は藤原為光が妻と娘の菩提を弔う為に創建したのが起源です。その後1161年(永暦2年)後白河上皇が法住寺跡に離宮・法住寺殿を営み、1176年(安元2年)建春門院(平滋子)が亡くなると建春門院の御陵として法華堂を建立しました。
法住寺・梅名所
【洛東 東北院】
東北院(とうほくいん)は1030年(長元3年)藤原道長の娘で、一条天皇の中宮・上東門院彰子の発願により、道長が建立した法成寺内に三昧堂(常行堂)を建立したのが起源です。東北院・梅名所
勧修寺・・・2月上旬~2月下旬頃
隨心院・・・3月中旬~3月下旬頃
【山科 勧修寺】
勧修寺(かじゅうじ)は900年(昌泰3年)醍醐天皇が生母・藤原胤子(ふじわらのいんし)の為、胤子の同母兄弟である右大臣・藤原定方(ふじわらのさだかた)に命じ、胤子の祖父・宮道弥益(みやじいやます)の邸跡を寺に改めたのが起源です。
勧修寺・梅名所
【山科 隨心院】
隨心院(ずいしんいん)・随心院は真言宗の僧・増俊(ぞうしゅん)が真言宗小野流の開祖・仁海僧正(にんがいそうじょう)が創建した牛皮山曼荼羅寺(ぎゅうひさんまんだらじ)の塔頭として建立したのが起源です。
隨心院・梅名所
【京都梅名所・洛北洛東山科 備考】
京都梅見ごろ2025(北野天満宮・梅宮大社・・・)