相国寺町かどの藝能2019/10/11~13(日程時間・・・)

相国寺町かどの藝能

相国寺町かどの藝能(日程・時間・・・)を紹介しています。町かどの藝能は毎年秋に行われています。町かどの藝能では江戸時代に磨き抜かれた芸能で楽しんでもらって商いをしていた京の都の芸商人を再現しています。南京玉すだれ・あやつり人形・けん玉・あほだら経などの芸を楽しんだり、京言葉で会話したり、買い物したりすることができます。(詳細下記参照)

【相国寺町かどの藝能2019 日程時間(要確認)】
相国寺町かどの藝能2019は2019年10月11日(金曜日)~13日(日曜日)11:00~16:00まで行われます。

【相国寺町かどの藝能 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市上京区今出川通烏丸東入相国寺門前町701
最寄り駅・バス停・・・今出川駅(徒歩約5分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から相国寺は地下鉄烏丸線
地下鉄・アクセスダイヤ

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【町かどの藝能 歴史・簡単概要】
相国寺町かどの藝能(まちかどのげいのう)・町かどの芸能は毎年秋に演劇塾長田学舎(おさだ塾)が相国寺山内・般若林の庭で行っています。町かどの藝能は演出家・劇作家で、演劇塾長田学舎主宰・長田純(おさだじゅん)が30数年の年月を掛けて調査研究し、掘り起こした江戸時代の商人の芸能のことを言うそうです。なお町かどの藝能は演劇塾長田学舎では秋の自主公演と位置付けられているそうです。
町かどの藝能では江戸時代に磨き抜かれた芸能で楽しんでもらって商いをしていた京の都の芸商人を再現しています。町かどの藝能では南京玉すだれ・あやつり人形・けん玉・あほだら経などの芸を楽しんだり、京言葉で会話したり、買い物したりすることができます。なお前売券には買物札が進呈されるそうです。(要確認)
演劇塾長田学舎は1951年(昭和26年)5月に劇団麥の會として創立されたのが始まりです。その後1976年(昭和51年)4月に演劇塾長田学舎に改称されました。なお演劇塾長田学舎(おさだ塾)は「生涯が勉強であり、研究である」という考えを実践的土台とすることから松下村塾・夏目漱石一門の塾に習って「塾」と呼称しているそうです。
●相国寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
相国寺歴史(室町幕府3代将軍・足利義満)
●相国寺の見どころ(法堂・開山堂など)を紹介しています。
相国寺見どころ(法堂・開山堂など)

*参考・・・演劇塾長田学舎(おさだ塾)

【相国寺 歴史・簡単概要】
相国寺(しょうこくじ)は1382年(永徳2年)に室町幕府3代将軍・足利義満が室町第(むろまちだい)・花の御所の東に夢窓国師(むそうこくし)・夢窓疎石(むそうそせき)を開山に一大禅宗伽藍を建立することを発願したのが起源です。相国寺の名称は相国寺創建時に足利義満が左大臣(相国)であったことに由来しています。相国寺は1392年(元中9年)に伽藍が完成し、北側の上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)の森・東側の寺町通・西側の大宮通に渡る約144万坪の広大な敷地に50余りの塔頭寺院もあったと言われています。その後度々焼失し、1403年(応永10年)に史上最も高かったとも言われている七重大塔(360尺・100メートル以上)が落雷によって焼失しました。その後も応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火などによって度々焼失し、1584年(天正12年)に中興の祖・西笑承兌(さいしょうじょうたい)が再建しました。しかしその後も度々焼失し、1788年(天明8年)の天明の大火で1605年(慶長10年)に再建された日本最古の法堂(本堂)・浴室以外の伽藍は焼失しました。なお相国寺は1386年(元中3年)に京都五山(天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺)の第2位に列せられ、その後第1位に列せられた時期もありました。
相国寺は臨済宗相国寺派の大本山です。
*参考・・・京都・相国寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

【相国寺町かどの藝能 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
相国寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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