舞鶴公園桜見ごろ(4月上旬頃~中旬頃)・桜名所

舞鶴公園桜見ごろ

舞鶴公園桜見ごろ(時期・ライトアップ・・・)情報を紹介しています。舞鶴公園には染井吉野(ソメイヨシノ)など約100本の桜の木が植えられ、桜と再建された田辺城の城門(資料館)などの光景が美しと言われています。なお城門は2階が資料館になっており、歴代城主や田辺城の歴史などを紹介しています。(詳細下記参照)

【舞鶴公園桜見ごろ時期 2020年(要確認)】
舞鶴公園桜は例年4月上旬頃から中旬頃に見ごろを迎えます。ただ桜の見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。●2020年の桜見ごろ予想は2020年1月頃から情報発信します。
京都桜見ごろ2020京都桜ライトアップ2020京都桜見ごろ・イベント京都桜名所

【舞鶴公園桜・舞鶴公園 アクセス・マップ地図】
場所・・・京都府舞鶴市字南田辺地内
最寄り駅・バス停・・・西舞鶴駅(徒歩約7分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR舞鶴線・京都丹後鉄道宮舞線

スポンサーリンク


【舞鶴公園桜見ごろ時期・見どころ】
舞鶴公園は桜の名所です。桜は例年4月上旬頃から中旬頃に見ごろを迎えます。舞鶴公園には染井吉野(ソメイヨシノ)など約100本の桜の木が植えられ、桜と再建された田辺城の城門(資料館)などの光景が美しと言われています。桜は田辺藩の旧藩士によって植えられたそうです。ちなみに城門は2階が資料館になっており、歴代城主や田辺城の歴史などを紹介しています。なお舞鶴公園には幕末に心種園と名付けられた庭園があり、脇に細川幽斎(ほそかわゆうさい・細川藤孝(ほそかわふじたか))の歌碑が建てられています。
城門は1997年(平成9年)にかつて埋められた外堀上に復興されました。ちなみに舞鶴公園では1940年(昭和15年)に二層櫓の彰古館が復興されました。
染井吉野は江戸時代末期に東京染井村の植木職人が江戸彼岸と大島桜を交配させて生み出したと言われています。その後明治時代初期から日本各地に広まりました。なお染井吉野は当初桜の名所である奈良吉野山に因んで、吉野・吉野桜と言われていたが、その後染井村から染井吉野と言われるようになりました。
桜(染井吉野)は2月1日以降の最高気温(毎日)の合計が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。また地域によって若干差があるが、開花から1週間から5日ほどで満開になるとも言われています。

【舞鶴公園 歴史・簡単概要】
舞鶴公園(まいづるこうえん)は戦国時代の1579年(天正7年)に細川幽斎(ほそかわゆうさい・細川藤孝(ほそかわふじたか))と細川忠興(ほそかわただおき・細川三斎(ほそかわさんさい))親子が築城した田辺城(たなべじょう・舞鶴城(ぶがくじょう))跡を整備した公園です。ちなみに田辺城は鎌倉幕府・室町幕府の丹後守護所(八田守護所)があった場所とも言われ、1578年(天正6年)に細川幽斎が織田信長(おだのぶなが)の命によって丹後国守護・一色義道(いっしきよしみち)を滅ぼし、京都への交通の要所である旧丹後守護所に築城しました。その後細川幽斎は隠居して宮津城(みやづじょう)に移り、細川忠興が田辺城に入城しました。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いでは前哨戦となる田辺城の戦いの舞台になりました。その後宮津藩初代藩主・京極高知(きょうごくたかとも)が宮津城を再築し、一国一城令によって田辺城の建物が破壊されたが、田辺藩初代藩主・京極高三(きょうごくたかみつ)が田辺城を再興しました。舞鶴公園には歴代城主や田辺城の歴史を紹介する資料館・自由広場・児童広場・彰古館などの施設があり、古今伝授の松や桜が植えられています。ちなみに古今伝授(古今伝受)は勅撰和歌集・古今和歌集の解釈を師から弟子に秘伝として伝えるもので、細川幽斎が古今伝授を伝える唯一の人物だったとも言われ、田辺城の戦いの際には細川幽斎が二ノ丸の老松の下で勅使に「古今和歌集相伝文書」を渡したと言われています。
*参考・・・舞鶴公園(アクセス・歴史・・・)舞鶴公園(アクセス・歴史・・・)

【舞鶴公園桜見ごろ時期 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
舞鶴公園(アクセス・見どころ・・・)情報

関連記事

京都観光おすすめ

  1. 錦市場
  2. 竹林の道
  3. 嵐山
ページ上部へ戻る