祇園祭舞妓献酒7/17・24(日程時間・・・)

祇園祭舞妓献酒

祇園祭舞妓献酒(7月17日)(日程・時間・・・)を紹介しています。祇園祭舞妓献酒は7月17日・24日に行われています。舞妓献酒では河原町三条交差点北側で舞妓が山鉾町の役員からちまきを受け取り、代わりに御神酒を献酒します。写真撮影が行われることもあります。ちなみにちまきはかつて山鉾巡行の際に山鉾上から見物客に投げられていました。(詳細下記参照)

★祇園祭最新情報。

【祇園祭舞妓献酒 日程時間(要確認)】

祇園祭舞妓献酒は7月17日・24日に行われます。(現在確認中・要注意)
祇園祭2025日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)

【祇園祭舞妓献酒 アクセス・マップ】

場所・・・京都府京都市・河原町三条
最寄り駅・バス停・・・河原町三条(徒歩すぐ)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは5系統(A1乗り場)、17系統(A2乗り場)、205系統(A2乗り場)
*四条河原町からは3系統、32系統、205系統
*四条烏丸からは3系統、5系統、32系統
*河原町丸太町からは4系統、10系統、205系統
路線・時刻表・運賃チェック

*地下鉄東西線の場合、最寄り駅は京都市役所前駅(徒歩すぐ)
祇園祭山鉾巡行ルート(前祭)

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【祇園祭舞妓献酒 簡単概要】

祇園祭舞妓献酒(まいこけんしゅ)は7月17日・24日に行われる山鉾巡行で行われています。
舞妓献酒では河原町三条交差点北側(河原町姉小路)で舞妓が山鉾町の役員からちまき(粽)を受け取り、代わりに御神酒を献酒します。写真撮影が行われることもあります。ちなみにちまき(粽)はかつて山鉾巡行の際に山鉾上から見物客に投げられていたが、1976年(昭和51年)とその後に見物客がケガを負う事故があり、1983年(昭和58年)からはちまき投げが全面自粛になっています。なお舞妓・花街は祇園祭の花傘巡行に奉仕し、巡行終了後に八坂神社の舞殿で舞を奉納しています。

  • 山鉾巡行(前祭)では山鉾23基が四条烏丸から出発し、四条通・河原町通・御池通の順に巡行します。山鉾巡行(後祭)では山鉾11基が烏丸御池から出発し、御池通・河原町通・四条通の順に巡行します。
  • 祇園祭山鉾巡行(前祭)祇園祭山鉾巡行(後祭)

  • 舞妓は最初に「割れしのぶ」、2~3年後に「おふく」になり、芸妓への襟替え直前に「先笄(さっこう)」という髪型になります。「おふく」を結っている舞妓さんは祇園祭(7月1日~31日)の期間中に「勝山(かつやま)」という特別な髪型になります。「勝山」は髷(まげ)の部分を輪にして左右から梵天(ぼんてん)という飾りを挿します。ちなみに「勝山」は元々「勝山」という名の遊女が好んで武家風に結った髷から発展したものとも言われているそうです。
  • ちまきは八坂神社の祭神・牛頭天王(ごずてんのう・素戔嗚尊(すさのうのみこと))と牛頭天王を快くもてなした蘇民将来(そみんしょうらい)に由来しています。牛頭天王は体は人だが、頭には牛のような角が生えていたことから后になる者はいなかった。しかし鳥のお告げから后を求めて旅に出た際、富豪の巨端将来(こたんしょうらい)は宿を断り、貧しい蘇民将来(そみんしょうらい)は粟の粥で快くもてなした。その後牛頭天王は竜女と結ばれ、巨端将来には罰を与えて一族を滅ぼし、蘇民将来は牛頭天王の教えに従って、茅の輪を腰に付けたところ疫病を逃れることができ、子々孫々まで繁栄したと言われ、粽の護符「蘇民将来之子孫也」の由来になっています。

祇園祭花傘巡行

【祇園祭 歴史・簡単概要】

祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。970年(天禄元年)から毎年に行われるようになりました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)

【祇園祭舞妓献酒 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
祇園祭2025日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)

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