萬福寺伽藍堂・萬福寺見どころ(修学旅行・観光)

萬福寺伽藍堂

●萬福寺伽藍堂は1913年(大正2年)4月14日に国の重要文化財に指定されました。
●萬福寺伽藍堂は江戸時代中期の1669年(寛文9年)に建立されました。伽藍堂は萬福寺の伽藍を守護する伽藍神を祀る堂塔で、本尊・華光菩薩(けこうぼさつ)、その両側に三面大黒天(さんめんだいこくてん)・弁財天(べんざいてん)を安置しています。
華光菩薩は中国の宋(そう)の時代(960年~1279年)から明(みん)の時代(1368年~1644年)に中国の南方地域で信仰されていた密教由来の道教神・華光大帝(かこうたいてい)が仏教に取り入れられて変容したものと言われています。萬福寺開山・隠元隆琦(いんげんりゅうき)は1592年(万暦20年・文禄元年)に中国・福建省福州府福清県万安郷霊得里東林に生まれたと言われていることから隠元隆琦が伝えたとも言われています。ちなみに華光菩薩は黄檗宗(おうばくしゅう)・曹洞宗(そうとうしゅう)の寺院を中心に祀られているそうです。華光菩薩は三山帽のような冠を戴き、柔和な表情に三眼で、文官のような衣服を身に着け、左手に投擲(とうてき)用の武器・金磚(きんせん)を持っています。
一般的に三面大黒天(三面の大黒)は正面が大黒天(だいこくてん)、右面が毘沙門天(びしゃもんてん)、左面が弁才天(べんざいてん・弁財天)の三つの顔をもつ大黒天のことです。三面大黒天は仏・法・僧(ぶっぽうそう)の三宝(さんぼう)を守護するとも言われています。三面大黒天は天台宗(てんだいしゅう)の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいちょう)が比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)の台所の守護神として祀ったのが始まりとも言われています。ちなみに大黒天は密教(みっきょう)とともに中国から日本に伝わり、天台宗・真言宗(しんごんしゅう)を中心として信仰され、その後大国主神(おおくにぬしのかみ)と習合(しゅうごう)しました。
弁財天は仏教の守護神である天部(てんぶ)の一尊です。弁財天は元々インドのサラスバティー川の河神であったが、後に梵天(ぼんてん)の妃になると広く信仰されるようになりました。仏教に取入れられると音楽・財富・知恵・延寿などを司る女神になりました。「金光明最勝王経」では頭上に白蛇(はくじゃ)をのせ、鳥居をつけた宝冠(ほうかん)を被り、八臂(8本の手)に弓・箭・刀・さく・斧・長杵・鉄輪・羂索を持ち、金光明経を説いたり、智慧・長寿・富を与えると記されています。弁才天信仰は奈良時代に既に始まっており、弁財天は宗像三女神(むなかたさんじょしん)の市杵嶋姫命(いちきしまひめ)や吉祥天(きっしょうてん)と同一視され。音楽・弁才・財福・知恵の徳があるとされています。なお弁財天は恵比寿・大黒天・福禄寿・毘沙門天・布袋・寿老人とともに七福神(しちふくじん)に数えられています。
●萬福寺伽藍堂は桁行三間・梁間三間で、入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
萬福寺見どころ

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