曼殊院大書院・曼殊院見どころ(修学旅行・観光)

曼殊院大書院

●曼殊院大書院(本堂)は1937年(昭和12年)7月29日に国の重要文化財に指定されました。
●曼殊院大書院(本堂)は江戸時代前期の1656年(明暦2年)に建立されました。大書院は本堂として国の重要文化財に指定されているが、解体修理の際に発見された墨書などから曼殊院では大書院と称されています。大書院は瀟洒(しょうしゃ)で、軽快な書院で、桂離宮(かつらりきゅう)の新御殿や西本願寺(にしほんがんじ)の黒書院とともに数奇屋風書院の代表的な建物とされています。ちなみに杉戸の引手金具に瓢箪・扇子などがデザインされ、桂離宮の新御殿と共通した部分があると言われています。大書院には十雪の間・滝の間・仏間・控えの間があり、仏間に本尊・阿弥陀如来を中心とした諸仏が安置され、十雪の間の床の間に木造慈恵大師坐像(重要文化財)が安置されています。
阿弥陀如来は大乗仏教の如来のひとつで、西方の極楽浄土(ごくらくじょうど)の教主とされています。阿弥陀如来は弥陀仏(みだぶつ)・阿弥陀仏(あみだぶつ)・無量光仏(むりょうこうぶつ)・無量寿仏(むりょうじゅぶつ)などとも言われています。阿弥陀如来は生あるものを全てを救う如来とされています。阿弥陀如来は紀元100年頃に編纂された大乗仏教の経典「無量寿経(むりょうじゅきょう)」によると世自在王仏(せじざいおうぶつ)のもとで出家して修行していた時、法蔵比丘(ほうぞうびく)という菩薩(法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ))であったが、48の誓願(四十八願 (しじゅうはちがん))を立てて修行して仏になり、仏国土(ぶっこくど)である極楽浄土(ごくらくじょうど)を設立して現在もそこで説法しているとされています。なお阿弥陀如来は日本浄土宗(じょうどしゅう)の本尊になっています。
慈恵大師・良源(元三大師)は912年(延喜12年)に木津氏として生まれました。923年(延長元年)に延暦寺西塔の理仙の弟子になり、928年(延長6年)に第13代天台座主・尊意から受戒しました。937年(承平7年)の維摩会で法相宗の義昭を論破し、藤原忠平に認められました。忠平没後はその子・藤原師輔の後援を受け、火災で焼失した堂塔を再建しました。963年(応和3年)に御所・清涼殿で興福寺の法蔵を屈服させて名声を上げ、966年(康保3年)に第18代天台座主になりました。慈恵大師・良源は延暦寺の伽藍の復興・天台教学の興隆・山内の規律の維持などに尽力したことから延暦寺中興の祖とも言われています。また母への孝行も有名で、比叡山に登れない母親の為に苗鹿(大津市)に山荘を造りました。ちなみに慈恵大師・良源を象った護符(角大師(つのだいし)・豆大師(まめだいし)など)があり、厄除け大師(やくよけだいし)としても信仰されています。
●曼殊院大書院(本堂)は桁行約14.7メートル・梁間約10.8メートルで、寄棟造(よせむねづくり)のこけら葺(こけらぶき)です。
寄棟造は四方向に傾斜する屋根面を持つ屋根の形式です。寄棟造は大棟(おおむね)の両端から四方に隅棟(すみむね)が降り、2つの台形と2つの二等辺三角形で構成されます。いずれも奈良県の東大寺の大仏殿や正倉院(しょうそういん)・唐招提寺(とうしょうだいじ)の金堂が代表例です。
こけら葺は木材の薄板を使って屋根を葺く方法です。こけら葺は板葺(いたぶき)の一種です。板葺では板厚が2~3ミリの場合にこけら葺、板厚が4~7ミリの場合に木賊葺(とくさぶき)、板厚が1~3センチの場合に栩葺(とちぶき)と言われています。板葺にはヒノキ・サワラ・スギ・エノキ・トクサ・クヌギなどが用いられます。板葺は古墳時代から屋根に用いられるようになったとも言われ、茅葺(かやぶき)に次いで古いとも言われています。
曼殊院

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