曼殊院の見どころ簡単解説-修学旅行・観光の豆知識
曼殊院の見どころは大書院・小書院・庫裏・八窓軒・庭園などです。
曼殊院の見どころを個別に簡単にまとめて解説します。文化財・見どころには本尊を祀る大書院(重要文化財)、京都三名席に数えられる八窓軒(重要文化財)、小堀遠州好みで、キリシタン灯篭がある庭園(名勝)などがあります。また小書院・庫裏等も見逃せません。なお修学旅行や観光で見るべき文化財・見どころの概要・歴史・様式・豆知識などを解説しています。
- 本尊・阿弥陀如来を祀り、本堂にあたる大書院(重要文化財)
- 桂棚・霞棚と並び称される曼殊院棚がある小書院(重要文化財)
- 下之台所と言われる庫裏(重要文化財)
- 京都三名席に数えられる茶室・八窓軒(重要文化財)
- 小堀遠州好みで、枯山水の庭園(名勝)
【曼殊院の歴史・簡単概要】
曼殊院は延暦年間(782年~806年)に天台宗の宗祖である伝教大師・最澄が比叡山に鎮護国家の道場として創建した坊が起源と言われています。天暦年間(947年~957年)に是算国師が比叡山西塔北渓に移し、東尾坊と号しました。その後天仁年間(1108年~1110年)に忠尋大僧正が寺号を曼殊院と改め、北山の別院を建立しました。1495年(明応4年)に伏見宮貞常親王の子・慈運法親王が入寺して以後門跡寺院になり、1656年(明暦2年)に良尚親王が入寺し、現在の場所に移って伽藍を建立しました。
【本尊・阿弥陀如来を祀り、本堂にあたる大書院(重要文化財)-見どころ】
- 概要:大書院は修学旅行・観光で絶対に見る価値がある文化財です。大書院は数奇屋風書院の代表的な遺構とされています。大書院は曼殊院の本堂で、十雪の間・滝の間・仏間・控えの間があります。大書院は仏間に本尊・阿弥陀如来(あみだにょらい)、十雪の間の床の間に慈恵大師(じえだいし)坐像(重要文化財)を安置しています。なお大書院は本堂として重要文化財に指定されているが、解体修理の際に発見された墨書などから大書院と称しています。
- 歴史:大書院は1656年(明暦2年)に建立されました。
- 様式:大書院は寄棟造(よせむねづくり)のこけら葺(こけらぶき)です。大書院は桁行約14.7メートル・梁間約10.8メートルです。
- 豆知識:大書院は瀟洒(しょうしゃ)で、軽快な書院です。桂離宮(かつらりきゅう)の新御殿や西本願寺(にしほんがんじ)の黒書院とともに数奇屋(すきや)風書院の代表的な建物と言われています。杉戸の引手金具に瓢箪(ひょうたん)・扇子(せんす)などがデザインされ、桂離宮の新御殿と共通した部分があります。第29代・良尚親王(りょうしょうしんのう)と桂離宮(かつらりきゅう)を完成させた八条宮智忠親王(はちじょうのみやとしただしんのう)は兄弟で、弟・良尚親王は兄・八条宮智忠親王からアドバイスを受けたと言われています。
【桂棚・霞棚と並び称される曼殊院棚がある小書院(重要文化財)-見どころ】
- 概要:小書院は修学旅行・観光で見逃せません。小書院には曼殊院棚があり、桂離宮(かつらりきゅう)の桂棚・修学院離宮(しゅうがくいんりきゅう)の霞棚(かすみだな)と並び称されています。小書院には黄昏(たそがれ)の間・富士の間があります。黄昏の間は七畳に台目畳二畳の上段を備え、床(とこ)・棚(たな)・付書院があります。床脇の棚は多種の木材を組み合わせて造られ、曼殊院棚と言われています。富士の間に松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)筆の扁額「閑酔亭(かんすいてい)」が掛けられています。境の欄間(らんま)に透かし彫りや富士山を象った七宝(しっぽう)製の釘隠し(くぎかかし)があります。
- 歴史:小書院は1656年(明暦2年)に建立されました。
- 様式:小書院は北面切妻造(きりづまづくり)・南面寄棟造のこけら葺(こけらぶき)です。小書院は桁行約10.0メートル・梁間約8.9メートルです。
- 曼殊院棚:曼殊院棚は5枚の棚と2つの袋戸棚(ふくろとだな)を組み合わた書棚の造り付けです。曼殊院棚には柿(かき)・桑(くわ)・欅(けやき)・栃(とち)・楓(かえで)など約10種の樹木を用いて造られています。
【下之台所と言われた庫裏(重要文化財)-見どころ】
- 概要:庫裏(下之台所)には大玄関(虎の間・孔雀(くじゃく)の間・竹の間)が付属しています。庫裏には良尚親王筆の木額「媚竈(びそう)」が掛けられています。「媚竈」には竈で働く人を大事にしなさいという意味があるそうです。庫裏には内部に大きな竈が7口設けています。なお庫裏は下之台所と言われ、上之台所と対をなしています。
- 歴史:庫裏は1656年(明暦2年)に建立されました。1991年(平成3年)から1996年(平成8年)に解体修理が行われました。庫裏は南北朝時代(1573年~1603年)に北山の別院が相国寺(しょうこくじ)付近に移った際に護摩堂として建立され、1656年(明暦2年)に現在の場所に移った際に庫裏に改造されたと言われています。
- 様式:庫裏は入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。庫裏は桁行約15.9メートル・梁間約12.3メートルです。
- 襖絵:大玄関には虎の間に狩野永徳(かのうえいとく)が描いた虎の襖絵、孔雀の間に岸駒(がんく)が描いた孔雀の襖絵があります。また竹の間に木版画があります。
【京都三名席に数えられる茶室・八窓軒(重要文化財)-見どころ】
- 概要:茶室・八窓軒は修学旅行・観光で見逃せません。八窓軒は孤篷庵(こほうあん)の忘筌(ぼうせん)・金地院(こんちいいん)の八窓席(はっそうせき)とともに京都三名席に数えられています。八窓軒は東側の壁の連子窓(れんじまど)の上に下地窓を重ね、小堀遠州(こぼりえんしゅう)好みとも言われています。躙口上の連子窓は虹のような影が生じることから「虹の窓」と言われています。
- 歴史:八窓軒は1656年(明暦2年)に建立されました。
- 様式:八窓軒は天井が東側(躙口側)を化粧屋根裏(けしょうやねうら)、西側(床の間側)が平天井になっています。
- 豆知識:茶室・八窓軒の名称は仏教の開祖・お釈迦様(おしゃかさま)の生涯における八つの主要な出来事のことである八相成道(はっそうじょうどう)に因んでいます。
【高貴な来客などの台所だった上之台所-見どころ】
- 概要:上之台所は高貴な来客や門跡(住職)などの為の台所です。上之台所には丸炉の間・一乗の間・花の間・宿直の間・御寝の間があります。
- 歴史:上之台所は明暦年間(1655年~1658年)に建立されました。
【小堀遠州好みで、枯山水の庭園(名勝)-見どころ】
- 概要:庭園は大書院に次ぎ、修学旅行・観光で見る価値があります。庭園は大書院前に作庭された枯山水庭園です。庭園は水の流れを表した砂の中に鶴島と亀島が配されています。鶴島に植えられている樹齢400年の五葉松は鶴を表現し、その根元に曼殊院型のキリシタン灯篭(とうろう)が建立されています。庭園には椿・梅・ソメイヨシノ・霧島つつじ・サルスベリ・笹リンドウ・サザンカ・カエデなど多くの植物も植えられています。庭園は四季折々に美しい光景が見られます。紅葉シーズンが特に美しいと言われています。庭園はインスタ映えします。
- 歴史:庭園は江戸時代(1603年~1868年)前期に小堀遠州が作庭したとも言われています。なお小堀遠州が1647年(正保4年)に亡くなっていることから実際の作庭者は分からないと言われています。
【弁天島に建立され、菅原道真を祀る天満宮-見どころ】
- 概要:天満宮は曼殊院の鎮守社です。天満宮は境内北西の弁天島に建立されています。天満宮は祭神・菅原道真(すがわらのみちざね)を祀っています。
- 天満宮の歴史:天満宮は室町時代(1336年~1573年)末期に建立されたと言われています。天満宮は山内で一番古い建物です。
- 様式:天満宮は一間社(いっけんしゃ)春日造(かすがづくり)で、檜皮葺(ひわだぶき)です。
- 豆知識:曼殊院は平安時代中期(947年~957年)から明治維新まで900年間、菅原道真を祭神として祀る北野天満宮(きたのてんまんぐう)の別当職を勤めていました。
【弁天島に建立され、弁才天を祀る弁天堂-見どころ】
- 概要:弁天堂も天満宮と同様に弁天島に建立されています。弁天堂は弁才天(べんざいてん)を祀っています。
- 歴史:弁天堂は江戸時代(1603年~1868年)後期に再建されたと言われています。
【不動明王を祀る護摩堂-見どころ】
- 概要:護摩堂は須弥檀(しゅみだん)に本尊・不動明王(ふどうみょうおう)立像を安置しています。護摩堂には良尚親王筆の篆書「驚覚(きょうがく)」が掛けられています。
- 歴史:護摩堂は江戸時代(1603年~1868年)前期に良尚親王が建立したと言われています。
- 様式:護摩堂は宝形造(ほうぎょうづくり)の桟瓦葺(さんがわらぶき)です。
【築地塀の5本の筋が格式の高さを表す勅使門-見どころ】
- 概要:勅使門は高い石段の上に建立された曼殊院の正門で、西側に面して建立されています。勅使門は左右に建てられている築地塀(つきじべい)に5本の水平の筋が入り、門跡寺院としての格式の高さを表しています。
- 歴史:勅使門は江戸時代(1603年~1868年)前期に建立されたと言われています。
【曼殊院 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・曼殊院(見どころ・アクセス・・・)ホームページ