曼殊院歴史-最澄が鎮護国家の道場として創建した坊が起源

曼殊院(Manshu-in Temple)

曼殊院歴史-修学旅行・観光ポイント

曼殊院の歴史は延暦年間(782年~806年)に天台宗の宗祖である伝教大師・最澄が比叡山に鎮護国家の道場として創建した坊(小寺院)が起源です。天暦年間に是算国師が比叡山西塔北谷に移し、東尾坊と号しました。なお歴史は時代別に年表にまとめ、重要人物も紹介しています。

曼殊院見どころ

【延暦寺・比叡山】

★奈良時代末期の788年(延暦7年)に天台宗(てんだいしゅう)の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいちょう)が自ら刻んだ薬師如来(やくしにょらい・薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい))を本尊とする延暦寺(えんりゃくじ)の前身である草庵・一乗止観院(いちじょうしかんいん)を比叡山(ひえいざん)に結びました。なお比叡山では伝教大師・最澄の父・三津首百枝(みつのおびとももえ)が草庵を結び、男児(伝教大師・最澄)誕生を祈願したとも言われています。

【曼殊院の起源・始まり】

★曼殊院は奈良時代末期から平安時代初期の延暦年間(782年~806年)に伝教大師・最澄が比叡山に鎮護国家の道場として創建した坊(小寺院)が起源と言われています。なお比叡山には伝教大師・最澄による延暦寺創建以来、僧侶の住坊が3千坊も建てられ、比叡山三千坊とも言われました。

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【平安時代(794年頃~1185年頃)の出来事・事件】

★平安時代前期に第3代天台座主(てんだいざす)である慈覚大師(じかくだいし)・円仁(えんにん)、第4代天台座主である安慧(あんえ・安恵)が曼殊院を引き継いだと言われています。
★天暦年間(947年~957年)に曼殊院初代・是算国師(ぜざんこくし)が比叡山西塔北谷に移し、東尾坊(とうびぼう)と号したと言われています。
★天暦年間(947年~957年)に菅原道真(すがわらのみちざね)を祭神として祀る北野天満宮(きたのてんまんぐう)が創建された際、是算国師が菅原家の出身だったことから初代別当職に任じられました。なお曼殊院は明治維新まで900年間、北野別当職を歴任しました。
★天仁年間(1108年~1110年)に曼殊院8代・忠尋大僧正(ちゅうじんだいそうじょう)が寺号を曼殊院に改めました。
★天仁年間(1108年~1110年)に北野天満宮の管理の為、北山の別院が金閣寺(きんかくじ)付近に建立されました。曼殊院では比叡山の本坊と北山の別院がしばらく並立していたが、次第に北山の別院が主になっていったと言われています。

【南北朝時代(1337年頃~1392年頃)の出来事・事件】

★南北朝時代に室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)が金閣寺の前身である北山殿(きたやまどの)を造営した際、康暦年間(1379年~1381年)に北山の別院(曼殊院)が御所内の公家町(相国寺(しょうこくじ)付近)に移りました。

【室町時代(1336年頃~1573年頃)の出来事・事件】

★1495年(明応4年)に伏見宮貞常親王(ふしみのみやさだつねしんのう)の子で、第103代・後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の猶子である慈運法親王(じうんほっしんのう)が曼殊に入寺して門跡寺院になりました。なお曼殊院は青蓮院(しょうれんいん)・三千院(さんぜんいん)・妙法院(みょうほういん)・毘沙門堂(びしゃもんどう)とともに京都天台五門跡に数えられました。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の出来事・事件】

★1656年(明暦2年)に曼殊院29代・良尚親王(りょうしょうしんのう)が入寺し、現在の場所に移って伽藍が建立されました。良尚親王は八条宮智仁親王(としひとしんのう)の第2皇子で、桂離宮(かつらりきゅう)を完成させた兄・八条宮智忠親王(はちじょうのみやとしただしんのう)のアドバイスを受けて伽藍を建立したと言われています。

【明治時代以降(1868年頃~)の出来事・事件】

★1868年(明治元年)に北野別当職が廃止されました。
★1871年(明治4年)に三門跡制(宮門跡・摂家門跡・准門跡)が廃止されたが、1885年(明治18年)に曼殊院が旧門跡の復称が許されました。
★1954年(昭和29年)に庭園が国の名勝に指定されました。
★2012年(平成24年)に明仁上皇・上皇后が行幸しました。

【曼殊院の開山とされる伝教大師・最澄】

伝教大師・最澄は767年(神護景雲元年)に三津首百枝の長男として生まれました。778年(宝亀9年)に近江国分寺で出家して行表の弟子になり、780年(宝亀11年)に得度しました。785年(延暦4年)に東大寺で具足戒を受け、788年(延暦7年)に比叡山に草庵を結び、根本中堂となる一乗止観院を創建しました。797年(延暦16年)に第50代・桓武天皇の内供奉十禅師になり、802年(延暦21年)に入唐求法の還学生に選ばれ、804年(延暦23年)に空海らとともに入唐し、中国・天台山で道邃・行満らに師事し、円・密・禅・戒の諸教を受け、805年(延暦24年)に帰国し、密教を伝える為に高雄山寺(神護寺)に灌頂壇を設け、806年(大同元年)に天台宗の開創が許されました。819年(弘仁10年)に比叡山に大乗戒壇建立を奏上したが、南都六宗の反対で許されず、822年(弘仁13年)に亡くなりました。死後7日目に大乗戒壇建立の勅許が下り、866年(貞観8年)に第56代・清和天皇から諡号・伝教大師が贈られました。

【曼殊院 備考】
*参考・・・曼殊院(歴史・見どころ・・・)ホームページ

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