涌泉寺松ヶ崎題目踊り2025年8月15日・16日(日程時間・・・)
涌泉寺松ヶ崎題目踊り
涌泉寺松ヶ崎題目踊り(日程・時間・・・)を紹介しています。松ヶ崎題目踊りは例年8月15日・16日に行われます。松ヶ崎題目踊りは男女が輪になり、題目「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」を独特の節回しで唱えながら団扇を上下に回転され、体を前後に屈伸しながら踊る素朴な踊りです。なお松ヶ崎題目踊りの後にはさし踊りが行われます。(詳細下記参照)
【涌泉寺松ヶ崎題目踊り2025 日程時間(要確認)】
涌泉寺松ヶ崎題目踊り2025は2025年(令和7年)8月15日(金曜日)・16日(土曜日)に行われます。15日は20:00頃~22:00頃、16日は21:00頃~22:00頃です。(現在確認中・要注意)
*参考・・・涌泉寺ホームページ
【涌泉寺松ヶ崎題目踊り アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市左京区松ヶ崎堀町53
最寄り駅・バス停・・・松ヶ崎大黒天(徒歩約5分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*河原町丸太町からは65系統
*北大路バスターミナルからは北8系統
*国際会館駅からは65系統
路線・時刻表・運賃チェック
【涌泉寺松ヶ崎題目踊り 歴史・簡単概要】
涌泉寺松ヶ崎題目踊り(まつがさきだいもくおどり)は1306年(徳治元年)7月16日、日像(にちぞう)が松ヶ崎全村を日蓮宗に改宗させた際、日像の弟子・実眼が喜びのあまりに踊りながら太鼓を打ち、題目「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」と唱えると村人も「南無妙法蓮華経」と唱えて踊ったのが起源と言われています。その後毎年旧暦の7月16日の夜に松ヶ崎題目踊りが踊られるようになったそうです。江戸時代には後水尾天皇と妻・東福門院が天覧されたとも言われています。松ヶ崎題目踊りは日本最古の盆踊りと言われ、京都市の登録無形民俗文化財に指定されています。なおさし踊りは起源が明確ではないが、洛北に古くから伝わる踊りと言われています。
8月15日は檀家だけで松ヶ崎題目踊りが踊られ、その後さし踊りが踊られます。なおさし踊りは檀家だけでなく、誰もが踊ることができるそうです。
8月16日は僧侶が五山送り火・「妙」(西山)の麓まで唱題行脚しで読経し、法華経への感謝や檀家の先祖に回向します。なお五山送り火終了後、15日と同じように松ヶ崎題目踊り・さし踊りが行われます。
松ヶ崎題目踊りは男女が輪になって中央に太鼓が置かれ、題目「南無妙法蓮華経」を独特の節回しで唱えながら団扇を上下に回転され、体を前後に屈伸しながら踊る素朴な踊りです。松ヶ崎題目踊りは見る踊りではなく、聞く踊りだとも言われています。
さし踊りは櫓が設置され、拍子木が打たれる中で踊ります。
五山送り火・妙法(松ヶ崎妙法)の「妙」は鎌倉時代末期に日像が始め、「法」は江戸時代初期に大妙寺の僧・日良(にちりょう)が始めたと言われています。「妙」は日像が西山に向かい、題目「南無妙法蓮華経」から「妙」の字を書き、山に点火するようになったと言われています。
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【涌泉寺 歴史・簡単概要】
涌泉寺(ゆうせんじ)は1918年(大正7年)に妙泉寺と本涌寺が合寺し、名称を涌泉寺に改めました。妙泉寺は805年(延暦24年)に黄門侍郎牒利(こうもんじろうのりとし)が天台宗・松崎寺を創建したのが起源とも言われています。(諸説あり)その後名称を歓喜寺に改めました。鎌倉時代に住職・実眼が夢告により、日像(にちぞう)の弟子になり、天台宗から日蓮宗に改め、名称も妙泉寺に改めました。その後応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))や1536年(天文5年)の天文法華の乱によって荒廃し、1575年(天正3年)に関白・豊臣秀吉が再興しました。なお本涌寺は当初草庵だったが、1574年(天正2年)に妙泉寺12世・教蔵院日生が堂を創建し、立本寺に属しました。本涌寺には法華宗の僧侶養成・学問所である松ヶ崎檀林が開かれていたが、明治維新後に檀林は廃止されました。
涌泉寺は日蓮宗の寺院です。
*参考・・・涌泉寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【涌泉寺松ヶ崎題目踊り 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
松ヶ崎題目踊りでは灯篭を奉納することができます。(要確認)
涌泉寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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