松尾大社本殿・松尾大社見どころ

松尾大社本殿

●松尾大社本殿は1898年(明治31年)12月28日に国の重要文化財に指定されました。
●松尾大社本殿は鎌倉時代後期の1285年(弘安8年)に焼失し、室町時代前期の1397年(応永4年)に再建され、戦国時代(室町時代後期)の1542年(天文11年)に大改修されたと言われています。松尾大社本殿はかつて飛鳥時代後期の701年(大宝元年)に秦忌寸都理(はたのいみきとり)が第42代・文武天皇の勅命によって建立したとも言われています。松尾大社本殿には大山咋神(おおやまぐいのかみ)・中津島姫命 (なかつしまひめのみこと)が祀られています。
一般的に本殿は祭神(神霊・神体)を祀る建物です。本殿は神殿(しんでん)とも言われ、古くは正殿(せいでん・しょうでん)・宝殿(ほうでん)とも言われていました。なお本殿が内陣と外陣に分かれている場合、内陣に祭神が祀られ、外陣は献饌(けんせん)・奉幣(ほうべい・ほうへい)の場として使われます。
秦忌寸都理は各氏族に書かせた氏族系譜「秦氏本系帳(はたうじほんけいちょう)」によると賀茂県主(かもあがたぬし)久治良の子として生まれたとも言われています。その後秦氏に養子に入り、その後秦氏の首長になったとも言われています。小建黒彦が兄、伏見稲荷大社を創建した秦伊侶具(はたのいろぐ)が弟とも言われています。なお秦氏は日本最古の正史「日本書紀(にほんしょき)・奈良時代成立」によると神功皇后・応神天皇の時代(201年~269年・270年~312年)に秦の始皇帝(しんのしこうてい)の子孫とも言われる弓月君(ゆづきのきみ)が多数の一族を率いて渡来したのに始まりとも言われています。
●松尾大社本殿は桁行三間・梁間四間で、両流造(りょうながれづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
両流造は母屋の前後に庇(ひさし)があり、屋根の前後に流造にしたものです。両流造は松尾造とも言われています。
流造は神社建築の一形式です。流造は正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が長く延びた形式です。流造は伊勢神宮(いせじんぐう)に代表される神明造(しんめいづくり)から発展し、奈良時代末期から平安時代に成立し、全国に広がりました。流造では上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ)がよく知られています。流造では正面(桁行)の柱間が1間(柱2本)の場合には一間社流造、3間(柱4本)の場合には三間社流造、5間(柱6本)の場合には五間社流造になります。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
松尾大社見どころ

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