松尾大社松風苑・松尾大社見どころ

松尾大社松風苑

●松尾大社松風苑には上古の庭・曲水の庭・蓬莱の庭などがあります。松風苑は1975年(昭和50年)に作庭家・重森三玲(しげもりみれい)が作庭しました。ただ重森三玲の死後は長男・重森完途(しげもりかんと)が引き継いで完成させました。
重森三玲は1896年(明治29年)8月20日に岡山県上房郡吉川村に生まれました。三玲の名前はフランスの画家であるジャン=フランソワ・ミレーに因んで改名しました。子供の頃から絵画・生け花・茶道を好み、その後日本美術学校で日本画を学び、生け花・茶道も習いました。日本美術学校卒業後に東洋大学文学部に学びました。1917年(大正6年)に画家を志し上京するが、1929年(昭和4年)に京都に移り住み、翌1930年(昭和5年)にいけばな草月流の創始者・勅使河原蒼風(てしがはらそうふう)らと「新興いけばな宣言」を起草し、いけばなの革新を提唱しました。1949年(昭和24年)に前衛いけばなの創作研究グループ・白東社(びゃくとうしゃ)を主宰し、前衛いけばな誌「いけばな藝術」を創刊しました。また日本庭園を独学で学び、1936年(昭和11年)から日本全国の庭園を調査し、500箇所に及ぶ調査から日本庭園史の先駆けになり、1939年(昭和14年)に「日本庭園史図鑑」26巻を出版し、1976年(昭和51年)に息子・重森完途(しげもりかんと)とともに「日本庭園史大系」全33巻(別巻2巻)を出版しました。重森三玲は日本庭園史の研究家だけでなく、作庭家としても活動しました。東福寺(とうふくじ)の方丈庭園・光明院(こうみょういん)の波心庭・瑞峯院(ずいほういん)の庭園などを作庭しました。なお重森三玲は1975年(昭和50年)3月12日に亡くなりました。
重森完途は1923年(大正12年)に重森三玲の長男として東京で生まれました。完途の名前はプロイセン王国(ドイツ)の哲学者であるイマヌエル・カントに由来しています。1943年(昭和18年)に早稲田大学文学部国文科を卒業し、その後徴兵されました。戦後の1945年(昭和20年)に重森三玲研究所で庭園の研究を開始し、1955年(昭和30年)に重森完途庭園設計研究所を設立し、設計活動を開始しました。
●松尾大社上古の庭は巨石の石組により、古代祭祀の場である磐座(いわくら)を飛鳥時代以前の上古風に表した庭園です。二つの巨岩は大山咋神(おおやまぐいのかみ)・中津島姫命 (なかつしまひめのみこと)を表しているそうです。
●松尾大社曲水の庭は洲浜・築山などにより、清流を平安時代風に表した庭園です。曲水の庭は四方どちらから見ても八方美の姿が表されています。
●松尾大社蓬莱の庭は蓬莱島を鎌倉時代風に表した池泉式庭園です。蓬莱の庭では池全体が羽を広げた鶴を象っています。
松尾大社見どころ

ページ上部へ戻る