壬生寺歴史の簡単マトメ-修学旅行・観光の解説

壬生寺

壬生寺歴史の簡単まとめ

壬生寺歴史を簡単にまとめてポイント解説します。壬生寺は991年(正暦2年)に滋賀・園城寺(三井寺)の僧・快賢僧都が母の為に創建したと言われています。壬生寺はかつて小三井寺・地蔵院・宝幢三昧寺などと言われていました。なお壬生寺歴史では時代別に歴史年表にまとめ、重要人物も紹介したりしています。

【前史(園城寺(三井寺))】

★園城寺(おんじょうじ・三井寺(みいでら))は寺伝によると飛鳥時代後期の686年(朱鳥元年)に大友与多王(おおとものよたのおおきみ)が672年(天武天皇元年)の壬申の乱(じんしんのらん)で、大海人皇子(おおあまのおうじ、第40代・天武天皇(てんむてんおう))と皇位を争って敗れた父・大友皇子(おおともおうじ、第39代・弘文天皇(こうぶんてんのう))の霊を弔う為、田園城邑(じょうゆう)を寄進したのが起源とも言われています。天武天皇からは「園城」という勅額を賜わったと言われています。その後貞観年間(859年~877年)に智証大師(ちしょうだいし)・円珍(えんちん)が天台別院として再興し、東大寺(とうだいじ)・興福寺(こうふくじ)・延暦寺(えんりゃくじ)とともに本朝四箇大寺(ほんちょうしかたいじ)に数えられました。ただ智証大師・円珍の死後に延暦寺との対立が激化し、度々焼き討ちされたり、関白・豊臣秀吉によって寺領を没収されたりし、廃寺同然になった時期もあったが、その度に再興され、不死鳥の寺とも言われました。

【壬生寺創建(起源・由来)】

★壬生寺は平安時代中期の991年(正暦2年)に滋賀・園城寺(三井寺)の僧・快賢僧都(かいけんそうず)が母の為に定朝(じょうちょう)作の地蔵菩薩(じぞうぼさつ)像を本尊として、五条坊門壬生に安置して創建したと言われています。壬生寺はかつて小三井寺(こみいでら)・地蔵院・宝幢三昧寺(ほうどうさんまいじ)などと言われていました。1005年(寛弘2年)に堂供養が行われ、小三井寺と名付けられたとも言われました。

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【平安時代(794年頃~1185年頃)の出来事】

★承暦年間(1077年~1080年)に第72代・白河天皇(しらかわてんのう)が壬生寺に行幸し、寺号・地蔵院を賜ったと言われています。また壬生寺が京都の裏鬼門に当たることもあり、白河天皇の発願により、2月に節分会(せつぶんえ)が行われるようになりました。
★天承年間(1131年~1132年)に鳥羽上皇(第74代・鳥羽天皇(とばてんのう))が行幸したと言われています。
★1144年(康治3年)に後白河上皇(第77代・後白河天皇(ごしらかわてんのう))の勅により、二条院(第78 代・二条天皇(にじょうてんのう))誕生を祝し、本尊が7日間開帳されたと言われています。

【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の出来事】

★1213年(建暦3年)に平宗平(たいらのむねひら)が壬生寺を現在の場所に移しました。
★1257年(正嘉元年)に火災によって伽藍が焼失しました。
★1259年(正元元年)に平宗平の子・平政平(たいらのまさひら)と律宗(りっしゅう)の僧で、融通念仏(ゆうづうねんぶつ)の円覚上人(えんがくしょうにん)が復興し、寺号が宝幢三昧寺に改められたと言われています。その後地名から寺号が壬生寺と言われるようになったと言われています。
★1300年(正安2年)に円覚上人が清凉寺(せいりょうじ・嵯峨釈迦堂)の嵯峨大念仏狂言・引接寺(いんじょうじ・千本ゑんま堂)のゑんま堂大念仏狂言とともに京の三大狂言に数えられる大念仏狂言(壬生狂言・壬生さんのカンデンデン)を始めたと言われています。

【室町時代(1336年頃~1573年頃)の出来事】

★1528年(大永8年)に室町幕府31代管領・細川高国(ほそかわたかくに)と丹波勢の合戦により、本堂・南門以外が破壊されたと言われています。

【安土桃山時代(1573年頃~1603年頃)の出来事】

★1591年(天正19年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が寺領46石を寄進したと言われています。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の出来事】

★1611年(慶長16年)に第107代・後陽成天皇(ごようぜいてんのう)が伽藍を修理し、本尊が開帳されたとも言われています。
★寛永年間(1624年~1643年)に本良律師が塔頭・中之坊(中院)を建立したと言われています。ちなみに壬生寺には江戸時代に塔頭が中之坊(中院)・地蔵院(本坊)・東之坊・西之坊・南之坊・竹之坊・梅之坊・安養院・寂静庵・西岸庵・宝蔵坊・福乗坊があったと言われています。
★寛文年間(1661年~1673年)に地蔵菩薩(壬生地蔵・延命地蔵)が第112代・霊元天皇(れいげんてんのう)の命により、洛陽四十八願所の霊場に数えられたと言われています。
★1788年(天明8年)に天明の大火によって全山焼失しました。
★1789年(寛政元年)に大念仏堂が建立されました。壬生大念仏狂言は本堂で行われていたが、同年から大念仏堂で行われるようになりました。
★1799年(寛政11年)に表門が再建されました。
★1811年(文化8年)に本堂が再建されました。本堂は南向きだったが、再建時に東向きに再建されました。
★1856年(安政3年)に現在の大念仏堂が再建されました。
★1863年(文久3年)に新選組(しんせんぐみ・壬生浪士組(みぶろうしぐみ))が結成され、壬生寺東門前の坊城通の八木邸・前川邸・南部邸が屯所に定められ、壬生寺の境内は新選組の兵法調練場として使われました。

【明治時代以降(1868年頃~)の出来事】

★明治維新後の神仏分離令・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)などにより、中之坊(中院)以外の塔頭が廃寺になりました。
★1894年(明治27年)に弁天堂が再建されました。
★1962年(昭和37年)に本堂が放火によって焼失し、本尊・地蔵菩薩半跏像(壬生地蔵・延命地蔵)も焼失しました。
★1967年(昭和42年)に現在の本堂が再建されました。新しい本尊・延命地蔵菩薩立像(重要文化財)が奈良・唐招提寺(とうしょうだいじ)から移され、1970年(昭和45年)に本堂の落慶法要が行われました。
★1988年(平成元年)に千体仏塔が建立されました。
★2002年(平成14年)に阿弥陀堂が再建されました。

【快賢僧都:壬生寺開山】

快賢僧都は生没年不詳です。快賢僧都は鎌倉時代の真言宗の僧です。高野山(和歌山県)金剛峰寺で学び、1253年(建長5年)に真言宗の宗祖である弘法大師・空海の「三教指帰(建長本)」を出版し、真言宗関係典籍(高野版)の普及に貢献しました。

【壬生寺歴史-修学旅行・観光ガイド 備考】
*参考・・・壬生寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

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