妙蓮寺芙蓉見ごろ2024(8月下旬~10月上旬頃)
妙蓮寺芙蓉見ごろ(見頃)
妙蓮寺芙蓉見ごろ(時期・イベント・・・)情報を紹介しています。妙蓮寺では山門前・参道・鐘楼前・本堂周辺などに一重白芙蓉・一重ピンク芙蓉・一重濃ピンク芙蓉・二重ピンク芙蓉・くす玉芙蓉が植えられ、白・ピンク・濃ピンクなどの花を咲かせます。また一重酔芙蓉・八重酔芙蓉も植えられ、朝白かった花が徐々に赤味を帯び、翌日に真赤な蕾のようになります。(詳細下記参照)
【妙蓮寺芙蓉見ごろ(例年時期)】
妙蓮寺の芙蓉の見ごろ例年8月下旬頃から10月上旬頃です。ただ芙蓉見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。
【妙蓮寺芙蓉見ごろ アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市上京区寺之内通大宮東入る妙蓮寺前町875
最寄り駅・バス停・・・堀川寺ノ内(徒歩約3分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から妙蓮寺は9系統(B1乗り場)
*四条河原町からは12系統
*四条烏丸からは12系統
路線・時刻表・運賃チェック
*地下鉄烏丸線の場合、最寄り駅は鞍馬口駅(徒歩約12分)
【妙蓮寺芙蓉見ごろ(例年時期)・見どころ 簡単概要】
妙蓮寺は芙蓉(フヨウ)の名所です。妙蓮寺の芙蓉見ごろは例年8月下旬頃から10月上旬頃です。ちなみに妙蓮寺の酔芙蓉(スイフヨウ)の見ごろは例年9月下旬頃から10月中旬頃です。妙蓮寺では酔芙蓉よりも芙蓉が多く植えられ、芙蓉のほうが早く見ごろを迎えると言われています。
妙蓮寺では山門前・参道・鐘楼前・本堂周辺などに一重白芙蓉・一重ピンク芙蓉・一重濃ピンク芙蓉・二重ピンク芙蓉・くす玉芙蓉が植えられ、白・ピンク・濃ピンクなどの花を咲かせます。また一重酔芙蓉・八重酔芙蓉も植えられ、朝白かった花が徐々に赤味を帯び、翌日に真赤な蕾のようになります。妙蓮寺では本堂前や山門前などに彼岸花も植えられ、芙蓉・酔芙蓉と一緒に楽しめる場合もあります。
本堂・山門は1788年(天明8年)1月30日の天明の大火(団栗焼け・申年の大火)で祖師堂などとともに焼失し、1789年(寛政元年)から暫時再建されました。
芙蓉はアオイ科の落葉低木です。芙蓉は蓮の美称でもあることから木芙蓉(もくふよう)とも言われています。芙蓉は沖縄・九州・四国や中国・台湾などの暖地の海岸近くなどに自生し、関東以南で観賞用に栽培されます。芙蓉は関東以北や暖地以外では冬枯れします。芙蓉は高さ1~3メートルで、葉は交互に互生(ごせい)し、掌状(しょうじょう)に浅く3~7裂して縁に鋸歯(きょし)があり、表面に白色の短毛があります。芙蓉は夏から秋に葉のつけ根に淡紅色の大きな5弁花を螺旋状(らせんじょう)に巻いて咲かせます。雄しべは先端で円筒状に散開し、雌しべが雄しべの中心部からが延び、雄しべよりも先に突き出して5裂しています。芙蓉は花を朝開いて、夕方に色が濃くなってしぼみます。芙蓉は一日花です。芙蓉には白花や八重咲きなどの品種もあります。
酔芙蓉はアオイ科の落葉低木です。酔芙蓉は沖縄・九州・四国や中国・台湾などの暖地の海岸近くなどに自生し、関東以南で観賞用に栽培されている芙蓉の変種です。酔芙蓉は花が朝に白く、午後になると徐々に赤くなり、夕方に濃い赤色になってしぼみます。酔芙蓉は一日花です。花の色の変化にはアントシアニン(シアニジン-3-サンブビオシド・シアニジン-3-グルコシド)という赤い色素が午後になると生合成され、蓄積することに関係しています。酔芙蓉の名称は花の色が白から赤に変わる様子を酒に酔った酔客(すいきゃく)に例えて名付けられました。酔芙蓉は高さ1~3メートルで、葉は交互に互生(ごせい)し、掌状(しょうじょう)に浅く3~7裂しています。酔芙蓉は夏から秋に葉のつけ根に八重咲きの花を咲かせます。ただ稀に一重咲きの酔芙蓉もあります。
【妙蓮寺 歴史・簡単概要】
妙蓮寺(みょうれんじ)は鎌倉時代後期の1294年(永仁2年)に四条門流の祖・日像上人(にちぞうしょうにん)が日蓮宗の開祖・日蓮聖人(にちれんしょうにん)からの帝都弘通(京都の布教)宗義天奏(天皇への布教)の遺命を受け、五条西洞院・柳酒屋仲興(なかおき)の邸内に法華堂(ほっけどう)を創建し、卯木山(うぼくさん)妙法蓮華寺(みょうほうれんげじ)と称したのが起源と言われています。柳酒屋仲興は日像聖人に深く帰依し、その未亡人が日像聖人を請じたと言われています。その後度々法難によって荒廃し、室町時代前期の応永年間(1394年~1428年)に妙顕寺を退室した日慶聖人(にっけいしょうにん)が柳屋の地に本門八品門流(ほんもんはっぽんもんりゅう)として再興しました。その後堀川四条に移ったが、戦国時代の1536年(天文5年)の天文法華の乱(てんぶんほっけのらん)によって焼失して堺に避難しました。1542年(天文11年)に第105代・後奈良天皇(ごならてんのう)が法華宗帰洛の綸旨を下し、大宮西北小路に復興されたが、1587年(天正15年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の命によって現在の場所に移りました。江戸時代中期の1730年(享保15年)の西陣焼け・1788年(天明8年)の天明の大火によって焼失し、1789年(寛政元年)から漸次再建されました。
妙蓮寺は本門法華宗の大本山です。
*参考・・・妙蓮寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【妙蓮寺芙蓉見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
妙蓮寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報