妙心寺梵鐘・妙心寺見どころ

妙心寺梵鐘

●妙心寺梵鐘は国宝です。
●妙心寺梵鐘には「戊戌年四月十三日壬寅収 筑前糠屋評造春米連広国鋳鐘」と刻まれ、飛鳥時代後期の698年(文武天皇2年)に鋳造されたと言われています。妙心寺梵鐘は紀年銘文のある梵鐘として日本最古と言われています。妙心寺梵鐘は九州・筑紫で鋳造され、大宰府・観世音寺(かんぜおんじ)の梵鐘と兄弟鐘とも言われています。
観世音寺は起源が明確ではありません。観世音寺は勅撰史書「続日本紀(しょくにほんぎ)・平安時代初期編纂」によると第38代・天智天皇が飛鳥時代後期の661年(斉明天皇7年)に崩御した母で、第35代・斉明天皇の追善の為に発願し、80年後の奈良時代の746年(天平18年)に完成したと言われています。また「二中歴(にちゅうれき)・鎌倉時代初期成立」によると飛鳥時代後期の白鳳年間(661年~683年)に創建されたとも言われています。境内から出土した瓦(老司I式)は7世紀に福岡市南区老司にあった瓦窯で焼かれたと言われています。観世音寺は当初八宗兼学だったが、平安時代後期に華厳宗の大本山・奈良東大寺(とうだいじ)の末寺になりました。平安時代以降に度々火災や風害により、創建時の堂宇や仏像はことごとく失われました。江戸時代前期の1630年(寛永7年)に当時唯一残っていた金堂が暴風雨で倒壊し、廃寺同然に追い込まれました。藩主・黒田家や博多の豪商・天王寺屋浦了夢らにより、1631年(寛永8年)に金堂、1688年(元禄元年)に講堂(本堂)が再建されました。明治時代以降に天台宗の寺院になりました。
一般的に梵鐘は寺院で時刻や非常を告げる鐘です。梵鐘は除夜の鐘でも知られています。梵鐘は釣鐘(つりがね)・撞鐘 (つきがね) とも言われるが、大鐘(おおがね)・洪鐘(おおがね・こうしょう)・撞鐘(どうしよう)・蒲牢(ほろう)・鯨鐘(げいしょう)・巨鯨(きょげい)・華鯨(かげい)・突鐘(つきがね)・鴻鐘(こうしよう)・鳧鐘(ふしよう)・九乳(くにゆう)・青石(せいせき)・霊鐘(れいしよう)などとも言われています。梵鐘はインド(天竺)で集会の際に用いられた木製のかん稚(かんち)と中国の銅鐘に基づいて造られました。日本最古の正史「日本書紀(にほんしょき)・奈良時代成立」には562年(第29代・欽明天皇23年)に古墳時代後期の豪族・大伴狭手彦(おおとものさでひこ)が梵鐘を高句麗(こうくり)から日本に持ち帰ったとの記録が残っています。ただ梵鐘は現存せず、梵鐘の内面に「戊戌年(698年)筑前糟屋評(福岡市)造云々」の銘がある京都・妙心寺(みょうしんじ)の梵鐘(国宝)が日本製の最古の梵鐘です。梵鐘は銅に少量の錫(すず)・亜鉛(あえん)などを混じて鋳造されます。梵鐘は上部に鐘楼に吊るす釣り手として竜頭(りゅうず)があり、下部に一対の蓮華(れんげ)状の撞座(つきざ)を配し、これを橦木(しゅもく)で突きます。梵鐘に上帯・中帯・下帯・乳の間・乳・草の間・池の間・駒の爪などがあります。
●妙心寺梵鐘は音色が雅楽(ががく)の黄鐘調(おうじきちょう)に合う為、古来から黄鐘調の鐘として有名です。
雅楽は日本古来の音楽・舞に中国など大陸から伝わった音楽・舞が融合し、10世紀頃に完成したと言われています。雅楽は神楽・久米舞など日本固有の国風の歌舞(くにぶりのうたまい)・中国系の唐楽・朝鮮系の高麗楽などに分類されます。
妙心寺見どころ

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