妙心寺仏殿・妙心寺見どころ(修学旅行)

妙心寺仏殿

●妙心寺仏殿は1912年(明治45年)2月8日に国の重要文化財に指定されました。
●妙心寺仏殿は棟札によると江戸時代後期の1827年(文政10年)に再建されました。妙心寺仏殿は1803年(享和3年)5月に仏殿造替願が幕府に出され、1813年(文化10年)11月に手斧始式が行われ、1826年(文政9年)9月に立柱し、1827年(文政10年)11月に上棟し、1830年(文政13年)4月に本尊が安置されました。妙心寺仏殿には本尊・釈迦如来像(拈華(ねんげ)の釈迦像)が安置されています。
一般的に仏殿は本尊仏を安置し、礼拝する堂塔です。仏殿は本堂・金堂・根本中堂(中堂)・仏堂などとも言われています。飛鳥時代から平安時代前半に創建された寺院では金堂と言われ、禅宗では仏殿と言われるとこが多いそうです。なお仏殿は禅宗寺院で、仏国土に至る三門(山門)・仏道修行に励む僧堂・僧侶が居住する庫裏(くり)・僧侶が仏教を講義する法堂(はっとう)・浴場である浴室・トイレである東司(とうす)とともに七堂伽藍に数えられています。
お釈迦さま(釈迦牟尼 ゴータマ・シッダッタ)は仏教の開祖で、世界四聖の一人です。ちなみに仏陀とは悟った者・目覚めた者を意味するお釈迦様の尊称です。お釈迦さまは約2,500年前の旧暦の4月8日、インド国境に近いネパールのルンビニーの花園で、父・シャカ族の国王である浄飯王(じょうばんのう・シュッドーダナ)と母・摩耶夫人(まやふじん・マーヤー)との間に生まれました。お釈迦さまは生まれてすぐに7歩歩き、右手で天、左手で地を指し、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と唱えたとも言われています。29歳で出家し、35歳の旧暦の12月8日の夜明け前、明星出現と同時にブッダガヤの菩提樹の下で、悪魔の誘惑に負けずに悟りを開きました。その後約45年間に渡り、インド各地を回って教えを説き、クシナーラで亡くなりました。お釈迦さまの遺骸は火葬され、遺骨は各地のストゥーパに分けて祀られたそうです。
●妙心寺仏殿は桁行三間・梁間三間で、入母屋造の本瓦葺です。なお妙心寺仏殿は一重裳階(もこし)付きで、一見2階建てに見えます。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
裳階は仏堂などの本来の屋根の下に付けた差し掛けの屋根です。屋根が二重になるので2階建てと間違われたりします。いずれも奈良県の東大寺の大仏殿や法隆寺(ほうりゅうじ)金堂と五重塔・薬師寺(やくしじ)の東塔が代表例です。白鳳時代(はくほうじだい)に建立された法隆寺の金堂と五重塔が日本最古の例です。なお裳階は雨打 (ゆた) ・雪打 (ゆた) とも言われています。
妙心寺見どころ

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