妙心寺大方丈・小方丈・妙心寺見どころ(修学旅行)

妙心寺大方丈・小方丈

●妙心寺大方丈・小方丈は1912年(明治45年)2月8日に国の重要文化財に指定されました。
●妙心寺小方丈は江戸時代初期の1603年(年慶長8年)に妙心寺の塔頭・玉鳳院(ぎょくほういん)の御殿として建立され、1656年(明暦2年)に移されて建立されました。妙心寺大方丈は江戸時代前期の1654年(承応3年)に建立されました。
一般的に方丈は1丈(約3メートル)四方の部屋を意味し、禅宗寺院の住持(じゅうじ・住職)や長老の居室を指します。方丈は大乗仏教の経典「維摩経(ゆいまきょう)」にインドの在家仏徒・維摩居士(ゆいまこじ)が神通力で1丈四方の部屋に文殊菩薩(もんじゅぼさつ)など8,000人の菩薩や仏弟子である500人の声聞(しょうもん)を招き入れたという故事に由来しています。そこから方丈に全宇宙が内在し、住職の居室を方丈というようになりました。方丈は堂頭(どうちょう)・堂上(どうじょう)・正堂(しょうどう)・函丈(かんじょう)とも言われています。なお「維摩経」は仏教伝来とともに伝わったとも言われ、聖徳太子(しょうとくたいし)の注釈書「維摩経義疏(三経義疏(さんぎょうぎしょ))」が残されています。
玉鳳院(ぎょくほういん)は鎌倉時代後期に花園上皇(第95代・花園天皇)の花園御所(離宮・萩原殿(はぎわらどの))があった場所です。南北朝時代の1337年(建武4年)に花園上皇が落飾して花園法皇になり、臨済宗の僧である大燈国師(だいとうこくし)・宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)の高弟・関山慧玄(かんざんえげん)を開山として妙心寺が創建され、1342年(興国3年)に花園法皇の起居する禅宮御殿(ぜんみやごてん)として玉鳳院が造営され、1348年(貞和4年)の花園法皇の崩御後に塔所(とうしょ)になりました。その後応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火によって焼失したが、室町時代後期の1537年(天文6年)に臨済宗(りんざいしゅう)東福寺派の大本山・福寺(とうふくじ)から現在の開山堂が移され、1610年(慶長15年)に勅使門が新造され、1656年(明暦2年)に現在の小方丈が建立されました。
●妙心寺大方丈は桁行約29.5メートル・梁行約21.7メートルで、入母屋造のこけら葺です。妙心寺小方丈は桁行約15.9メートル・梁行約10メートルで、入母屋造のこけら葺です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
こけら葺は木材の薄板を使って屋根を葺く方法です。こけら葺は板葺(いたぶき)の一種です。板葺では板厚が2~3ミリの場合にこけら葺、板厚が4~7ミリの場合に木賊葺(とくさぶき)、板厚が1~3センチの場合に栩葺(とちぶき)と言われています。板葺にはヒノキ・サワラ・スギ・エノキ・トクサ・クヌギなどが用いられます。板葺は古墳時代から屋根に用いられるようになったとも言われ、茅葺(かやぶき)に次いで古いとも言われています。飛鳥時代(593年~709年)に建立された法隆寺(ほうりゅうじ)の五重塔(国宝)の屋根にも用いられています。
妙心寺見どころ

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