妙心寺経蔵・妙心寺見どころ(修学旅行)

妙心寺経蔵

●妙心寺経蔵は1912年(明治45年)2月8日に国の重要文化財に指定されました。
●妙心寺経蔵は江戸時代中期の1673年(寛文13年)に大坂の豪商・淀屋辰五郎(よどやたつごろう)の寄進によって建立されたと言われています。妙心寺経蔵には八角輪蔵(はっかくりんぞう)があり、八角輪蔵には一切経(いつさいきよう)6,527巻の経巻が納められています。
淀屋辰五郎は江戸時代の大阪の豪商である淀屋五代目三郎右衛門広当のことです。淀屋は安土桃山時代に材木業を営み、大坂の中之島を開発し、大坂の総年寄役を務めました。1614年(慶長19年)・1615年(慶長20年)の大坂の陣(おおさかのじん)以降に徳川氏の信任を得て、材木・塩・魚・青物などを取り扱ったり、諸藩の蔵元として蔵米を売ったりして巨利を得ました。また金融業で諸大名などにお金も貸しました。五代目・淀屋辰五郎は巨富と豪奢な生活が町人の分限を越え、1705年(宝永2年)に全財産没収である闕所 (けっしょ) ・追放である所払い(ところばらい)の刑を受けました。五代目・淀屋辰五郎は山城国八幡に移り、12年後に八幡で亡くなったとも言われています。淀屋はその後船場の両替商などに分散しました。なお五代目・淀屋辰五郎は近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)の「淀鯉出世滝徳(よどごいしゅっせのたきのぼり)」・錦文流(にしきぶんりゅう)の「棠大門屋敷(からなしだいもんやしき)」・江島其磧(えじまきせき)の「風流曲三味線(ふうりゅうきょくしゃみせん)」など浄瑠璃(じょうるり)・歌舞伎(かぶき)などの題材になりました。
一般的に経蔵は寺院で「一切経」などの経典を納める蔵です。経蔵は経堂・経楼とも言われています。
「一切経」は仏教の経典を総集したものです。「一切経」は経蔵(きょうぞう・仏の教説集)・律蔵(りつぞう・仏弟子の生活規範)・論蔵(ろんぞう・インド仏教学者による経の解釈)の三蔵(さんぞう)を中心にそれらの注釈書などを加えたものです。「一切経」には古代インドの標準的文章語である梵語(ぼんご・サンスクリット語)・古代中西部インドのパーリ語の原典にチベット語・中国語・蒙古語・満州語などの訳本があります。「一切経」は「大蔵経(だいぞうきょう)」とも言われています。「一切経」は中国の南北朝時代(439年~580年)から使用され、「大蔵経」は中国の隋時代(581年~618年)から使用されています。
八角輪蔵は中央の心柱を支えとする回転書架です。八角輪蔵はお釈迦様の転法輪(てんぼうりん)に由来し、中国南朝梁の傅大士(ふだいし)が起源とも言われています。傅大士は「一切経(大蔵経)」を閲覧する便を図って、転輪蔵を考案しました。
妙心寺見どころ

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