妙心寺四派の松・妙心寺見どころ(修学旅行)

妙心寺四派の松

●妙心寺四派の松は仏殿(重要文化財)と三門(重要文化財)の間にある4本の松です。四派の松は室町時代に妙心寺を運営した四派四本庵(しはしほんあん)を表しています。四派の松が表す四派四本庵には龍泉派(龍泉庵(りゅうせんあん))・東海派(東海庵(とうかいあん))・霊雲派(霊雲院(れいうんいん))・聖澤派(聖澤院(しょうたくいん))があります。四派の松は代々一株から二本の幹がのびている松が植えられているそうです。
龍泉庵は室町時代中期の1481年(文明13年)に大徳寺46世で、妙心寺10世・景川宗隆(けいせんそうりゅう・本如実性禅師(ほんにょじつしょうぜんじ))が妙心寺の六祖と言われる妙心寺中興の祖・雪江宗深(せっこうそうしん・仏日真照禅師(ぶつにちしんしょうぜんじ))から土地を与えられ、小庵・龍泉庵を結んだのが起源と言われています。1500年(明応9年)に景川宗隆が亡くなると塔が立てられて大亀塔宗と言われました。
東海庵は室町時代中期の1484年(文明16年)に斎藤妙純(さいとうみょうじゅん・斎藤利国(さいとうとしくに))の妻・利貞尼(りていに)が妙心寺11世・悟渓宗頓(ごけいそうとん)を請じて創建したとも、悟渓宗頓が妙心寺中興の祖で、妙心寺の六祖と言われる雪江宗深(せっこうそうしん)から土地を与えられて創建したとも言われています。その後天正年間(1573年~1592年)に石川一光(いしかわかずみつ)が規模を拡張しました。
霊雲院は室町時代後期(戦国時代)の1526年(大永6年)に妙心寺25世・大休宗休(だいきゅうそうきゅう)が模堂清範尼(もどうせいはんに)の帰依により、大徳寺46世で、妙心寺10世・特芳禅傑(とくほうぜんけつ)を勧請開祖として創建しました。
聖澤院は室町時代後期(戦国時代)の1523年(大永3年)に妙心寺18世・天蔭徳樹(てんいとくじゅ)が細川氏などの援助により、妙心寺13世・東陽英朝(とうようえいちょう)を開山として創建しました。その後衰微し、安土桃山時代の1594年(文禄3年)に大仙寺(だいせんじ)・庸山景庸(ようざんけいよう)が発心寺(ほっしんじ)・東漸宗震(とうぜんそうしん)の援助によって再興しました。
仏殿は棟札によると江戸時代後期の1827年(文政10年)に再建されました。仏殿は1803年(享和3年)5月に仏殿造替願が江戸幕府に出され、1827年(文政10年)11月に上棟し、1830年(文政13年)4月に本尊が安置されました。仏殿には本尊・釈迦如来像(拈華(ねんげ)の釈迦像)が安置されています。
三門は安土桃山時代の1599年(慶長4年)に建立されました。三門は楼上に観音菩薩(円通大士(えんずうだいし)坐像)・十六羅漢像が安置され、極彩色鮮やかに飛天・鳳凰・龍が柱や梁に描かれています。
妙心寺見どころ

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